中井洋子句集『囀の器』

 中井洋子さんは「小熊座」の重鎮で、栃木県芸術祭文芸賞(俳句部門)や小熊座賞を貰っている。この句集『囀の器』は第二句集で、平成30年12月25日、ふらんす堂刊行である。跋文は「小熊座」主宰の高野ムツオさんが丁寧に佳句を多数引きながら書いている。帯文には、
  シリウスに耳がもつとも繋がりぬ
を引いて、「言葉を五七五の空間に自分の感覚のみを頼りにできるだけ遠方へと放つ。そして、その言葉と互いに引っ張り合う。その緊張感の中に新しい世界を創造する」と書いている。その言葉の通り、彼女の作品は現実には捉われず、詩的な虚をふんだんに詠んでいて、一見、シュールで、前衛的であり、難解なものを含んでいる。そのことを、高野主宰は「感覚のみを頼りに、できるだけ(言葉を)遠方へと放つ」と表現している。


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自選15句は次の通り。

  人体のどこも先端風光る
  空瓶となる音を吐く朧の夜
  囀がまるい器になつてゐる
  蚕豆を食べると悲しみが来さう
  ががんぼはすき間でできてゐる思ひ
  奥まつて舌はありけり油照
  物音のひとつでありし黒揚羽
  睡蓮を身籠りさうで立ち上がる
  こころ遠浅になるべし炎天下
  自転車に虹の空気を入れてやる
  この世にて足るものの無し月夜茸
  墳丘は女体に尽きる秋の風
  これからの記憶のちから烏瓜
  外套の鬼房尋ね来る夜明
  枯れてゆくものを支へに葦枯るる

 筆者の共鳴句は次の通り。平易なものもあるが、独特の感性で書かれた句も多く、中から、できるだけ筆者(=栗林)の理解の及ぶ作品に限って選んでみた。しかし、分からなくても、何かをほんのりと感じさせてくれる作品は戴いた。その数はかなり多く、45句に及んだ。

008 胸豊かゆゑお飾の買ひ上手
009 涙するための盛装冷え冷えと
016 女ひとりとはががんぼのゐる明るさ
019 月光を遊ばせてゐる落し蓋
020 四五人の頭がふさぐ夜店かな
030 暗涙の果と思へり銀竜草
036 陽炎の中より指をさされゐる
038 蘖の身に覚えなき育ちやう
040 一団と一人がすれちがふ薄暑
041 使はれて表も裏も蠅叩
051 噴水は篠突く雨に夢ごこち
058 囀がまるい器になつてゐる(*)
059 助走して来る雷の臈たけし
062 侘助は母のうつむきかげんなり
076 数字やら音符やら吐く青ポプラ
083 春蘭ひらく頬杖を解くやうに
087 落ちながら水を忘るる滝の水
089 塗りつぶす前も黒なり終戦日
091 湯ざめして部屋のいづこも背後かな
092 人体のどこも先端風光る(*)
098 稲雀道に降りては群れ直す
098 桃ひとつ剥くどこそこに子が生まれ
099 すり切り一杯の愛冬ぬくし
107 打水は縁起絵巻へつづきをり
113 亡き人が夢にまた死ぬ春あさし
119 冬ざるる振り上ぐる斧すでに音
125 あきかぜが撫でて赤子のくび据る
127 衣ずれのどこかに今も冬の蝶
128 水中とときどき気付く寒の鯉
128 すこし闇容れて巣箱の出来上がる
132 これ位のとは蛇のことらしい
134 自転車に虹の空気を入れてやる(*)
139 裏口は月を見る場所春満月
142 こころ遠浅になるべし炎天下(*)
144 冬の山から道が出て人が出る

 自選句と重なった作品、および、いい意味で気になる若干の作品を鑑賞しよう。
058 囀がまるい器になつてゐる(*)
 この句集の表題にもなっている句。まあるい樹形の木に鳥が沢山とまっていて、一羽一羽は見えないが、樹全体から囀りが聞こえてくる。この状況はよくある景なのだが、それを「囀がまるい器に」と言った。言い得ている。鳥の声がかしましいほどなのだ。

092 人体のどこも先端風光る(*)
 こういう感覚ってあるんだろう。「どこも」が少し大袈裟だと、はじめは思ったのだが、大袈裟な断定は俳句の骨法であると気がつくと、取れる句である。春の風にふれる体の一部が、その部位がどこであっても、敏感になっている肌が、春を感じ取るのである。

134 自転車に虹の空気を入れてやる(*)
 お恥ずかしい話だが。筆者(=栗林)が過去に詠んだ俳句を思い出した。それは〈自転車に寒の空気を充たしけり〉だった。これでは事実の報告に過ぎません。中井さんのこの句「虹の空気」が断然にいい。「虹の空気」だから詩になった。詩人ですね。こうでなくてはいけない。大いに反省です。

142 こころ遠浅になるべし炎天下(*)
 こころが遠浅だということは、どんなことだろう。多分、穏やかで、思いが遠くまで届きそうな、そういう日の海なのだろう。炎天下なら、なお一層、遠浅に思いが至るのであろう。

019 月光を遊ばせてゐる落し蓋
 この句に名状しがたい魅力を感じた。静謐な厨の時間。見落としてしまいそうな、渋い句である。

036 陽炎の中より指をさされゐる
 この感覚ってあるんだろうなあ、と思う。誰が指さしているのか、刺されているのは私なのだが、何故なのか、などは一切不明。自意識が持つ少し過剰な思いが妖しい詩となった。

038 蘖の身に覚えなき育ちやう
 俳句には象徴する何かがある。蘖を「苦労なく育ってしまったもの」、と見ているのだが、それは自分かも知れない。

051 噴水は篠突く雨に夢ごこち
 うまい句。噴水もときには涼みたいと思っているんだなんて、誰が気がつこうか。詩人だけが気付くようだ。

128 水中とときどき気付く寒の鯉
 これも作者の自意識。鯉自身が冷たい水の中にいるんだと気がついた、そのことに作者は今更ながら気がついた。

128 すこし闇容れて巣箱の出来上がる
 巣箱作製の最後の工程で屋根を付けた。内部に暗がりができて、安住の場が組み上がった。作者の優しさが見える。

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