新しい俳句を志す―池田澄子さんに聞く(前編)

 このところ先達俳人を訪ねながら、シリーズ「昭和・平成を詠んで」を高野ムツオさんの「小熊座」に載せて戴いている。これまで、小原啄葉、有馬朗人、橋爪鶴麿、黛執、大串章、池田澄子、柿本多映などの皆様を取材させて戴いてきた。この後は、友岡子郷、大牧広さんをすでに取材してあるので、近く掲載できる見込みである。
「小駒座」以外にも、伊丹三樹彦を「円錐」に、勝又星津女を「今」に、依田明倫を「街」にそれぞれ、同じ趣旨で掲載して戴いて来た。
 このシリーズの目的は、戦争や大震災の記憶の風化を防ぐために、俳人たちに作品とその時代背景を語ってもらうのが趣旨である。この企画はもう少し続けさせていただきたいと思うので、ご興味をもたれる方々のご叱責が戴ければ幸いであります。

 さて、今回は、現在最も人気ある女流作家のおひとりとして知られている池田澄子さんを訪ねて、ご自宅に伺った。その記事の前編(6月号)をアップ致します。後半(7月号)にもご興味のおありの方は、小熊座編集部へご連絡下さい。


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昭和・平成を詠んで 新しい俳句を志す―池田澄子さんに聞く(前編)

初めて書いたのは詩―父の死
 人気女流のお一人である池田澄子さんが、何かを書きたい衝動に駆られたのは、父の戦病死がきっかけであり、その表現形式は「詩」であった。彼女の俳論集『休むに似たり』(ふらんす堂)にこんな一文がある。

 初めて詩を書いた。詩のつもりのものを書いたのは敗戦の一年前、国民学校二年生のときだった。父が中支で戦病死した報せを受けた日のことを書いたのだが、最後の二行だけ覚えている。
   わたしもかなしかったが
   お母さまはもっとかなしそう
(中略)その日学校から帰ると、母がまるで睨むような顔付きで私を二階へ引っぱっていった。そして階段を上りきった途端、声を殺して嗚咽しながら「お父ちゃまが死んだの。もう帰って来ないのよ」と言った。その時、私に父の姿がはっきり見えた。それはおかしなことに一枚の写真の父の姿であった。ああそうか、こんな風に人の姿が眼前にはっきり現れることがあるんだなあ、それにしても何故この写真なのだろうと思いながら呆然と突っ立っていた。涙は出なかった。母は念を押すように言った、「戦死しても歎いちゃいけないの。名誉なことと思わなくちゃいけないの。だから泣いたのは内緒」。

戦場の近眼鏡
――あの頃は、戦死は名誉なことだと思うように教育されていましたが、身内のことは別だと思っていました。でもお母様がそんなに遠慮されていたと知りますと、当局の感情操作の徹底さに恐怖を感じます。
池田 そうなんです。意外な気持ちがしました。母でさえもそう言うんだって……。中支の漢口の陸軍病院で亡くなりました。チフスだったんです。父は軍医でした。以前に東京で開業していたのは産婦人科と内科の病院でした。母方の叔父も医者で、仲良かった二人は一緒に産婦人科・小児科・内科の病院にしようと話していたようです。叔父は繰上げ卒業で、医者になり、間もなくニューギニア戦線へ行き、そのまま帰って来ませんでした。父は北、叔父は南で亡くなったんです。
 先ほどの話での父の写真ですが、どこで撮ったか分からないような小さなものです。他に、構えたような、大きな、まともな写真があったのに、眼前に現れたのは、それじゃないんです。軍服姿じゃないんです。なぜ、そんな記念すべき写真でないものを思い出したのかが不思議です。父はハンサムでした。軍人の格好を嫌って、軍帽なんかも崩して被っていました。およそ軍人らしい人じゃなかった。ヴァイオリンが好きでよく弾いていました。陸軍病院の院長さんが父の遺品と遺骨を別送して下さったのですが、遺骨は届きませんでした。遺品に三冊の日記がありました。遺骨と日記……どちらか一つと言われると、どうでしょうか、日記でよかったのかなあって……。私は父に候文で手紙を書いたことがあるんです。それで父は「良い子に育っているようだね」って、娘にメロメロだったようです。私も、娘が父をこんなに思っているってことを報せたいのですが、もう決して伝わらないんですよ。それっきりね。永遠にね。
――よいお父さんでしたね。こんな句があります。
    敗戦日またも亡父を内輪褒め
    母またも亡夫自慢を雨の月
  ところで、
    戦場に近眼鏡はいくつ飛んだ
  という句があります。特定の兵士を詠んだのではないんでしょうが……。発想はお父様の眼鏡から……。
池田 はい。私は、詠む対象は出来るだけ一般化・普遍化して、私性を出さないようにしています。基本的には、俳句で私や身内を知って貰おうという気持ちがないからです。ただ、この場合は、父の眼鏡の小さな写真がイメージにありました。この写真がそれです(と言って見せて下さった。眼鏡を掛けた若い兵士のモノクロの顔写真に〈戦場に近眼鏡……〉の句が添えられている)。テレビ番組で俳句のお話をしたときに使った写真です。ただし、この句からは、「こうやって死んで行ったのは日本兵だけじゃない。相手国の兵士もいたであろうし、彼らの父や母、兄弟姉妹も悲しんだのだ」というところまで読み取って戴けると嬉しいです。父の死は、戦死というものの中の一つです。
――なるほど。迂闊でした。私は、近眼鏡は若者のものですから、青年たちに同情を感じていました。少なくとも「老眼鏡」は飛ばないよなって(笑)……不謹慎でした。池田さんに戦争の句が多いのですが、気が付いたのを上げてみます。亡き父の句も入れてありますが、実に多いですね。

  雪黒しここは亡父の家路であった
  前ヘススメ前へススミテ還ラザル
  八月来る私史に正史の交わりし
  忘れちゃえ赤紙神風草むす屍
  戦場に永病みはなし天の川
  溜まった汗のつつつつと満州忌
  怠るに似て頭を垂れて敗戦日
  土用波どこにどうして英霊は
  学徒戦歿させしことあり金色銀杏
  兵泳ぎ永久に祖国は波の先
  ところどころで戦争ときどき秋立ちぬ
  光ってしまう夏潮英霊忘れ潮
  島在り 亡父のごとく在り月下

池田 ええ、師の三橋敏雄にも多いんです。だから作りやすかった。先生と競争していたような気もします。
――二句目の〈前ヘススメ〉の句は無季ですね。ある伝統俳句系の重鎮がこの句を大変褒めておられました。ご自身も戦争体験がおありだったせいか、「いや、有季でも無季でもいい句はいいんだ」って。
池田 それは嬉しいです。でも、そうですよ。これにね、つまり、戦争俳句にね、花を咲かせたって邪魔ですよ。これは『たましいの話』(角川書店)にありますが、三橋先生は句会のあとで、「うん、これは良い。一般に受け入れられるかどうかは分からんが……」と言って下さいました。句集にするときは、先生はもう亡くなられていました。ですから、天上の先生に「評価してくださる方がいますよ」ってお知らせしたいです。このカタカナ表記はほかの句には使っていません。

忘れちゃえ論争
――四句目に〈忘れちゃえ赤紙神風草むす屍〉があります。色々議論があったようですが……。
池田 ええ、ある雑誌で取り上げられました、不謹慎だって。忘れられないから、忘れちゃえって書いたのが真意ですが、文字通り「忘れちゃえ」と読まれて批判されました。言われて見れば言葉としては「忘れちゃえ」って書いてありますからねえ。私自身へ言った言葉なんですが……。でも、作者としては、そのようにストレートに読まれて忌避されることがあるかも知れない、ということを想定内に置いておかねばならなかったと、気付きました。そして、それでも発表するかどうかを考えるべきだったです。言葉で勝負する立場ですから、そこまで考えていないとね。結局は、発表していたでしょうが……。
――「満州忌」と言う句があります。〈溜まった汗のつつつつと満州忌〉です。お父様は漢口の前は満州におられたのですか?
池田 ええそうなんです。「滿州忌」は造語です。敗戦によって満州はなくなったのですよね。父ははじめの頃、満州に征っていました。その頃の満州は豊かでして、私たちが住む家も用意されていましたので一緒に行くことも考えたらしいですが、弟も小さかったし、結局は行かず、父の実家の村上(新潟県)に引っ越しました。もし行っていれば、父は亡くなるし、母は弱かったですし、間違いなく私は戦争孤児ですよ。いや、残留孤児かも。あるいは生きて帰れなかったかも。満州は豊かだったと言いますが、いつころからか「怪しくなって来た」と、父の日記の三冊目の後ろの方に書いてありました、もうすぐ前線に行かねばならないって。そして日記は終っています。
――戦争以外、たとえばテロや震災の句は如何ですか?
池田 震災のときは作れなかったですねえ。どう書いても虚しくってねえ。でも、一句だけ〈春寒の灯を消す思ってます思ってます〉がありますが、悔しかった。書けなかったんです。簡単に図式的には書けるんでしょうが、それやってもしょうがないですよね。なさけなく辛かったです。

新台所俳句・俳句のような俳句
 筆者注 池田澄子の俳句については「豈」(五十一号)が特集を組んでいて、いろいろな論評がある。
たとえば、佐藤文香は「三橋敏雄を乗り越えて自分の文体を確立した」と書き、山口優夢は「彼女は、まだ言葉になっていない何かを人と共有するために俳句を書く」という。そして、相子智恵は第三句集『ゆく船』(ふらんす堂)についてこう書いている。

  第二句集の『いつしか人に生まれて』(みくに書房)に比べると、あきらかに一冊が沈静している。思い切った取り合わせや面白さや、あっけらかんと真実を突く句は相変らずだが、『ゆく船』はおそらく池田の永遠のテーマであろう「私という偶然生まれた存在の寄る辺ない寂しさ」と、それゆえこの世に同じく偶然生まれ、しかも「偶然同士が出会うというすごい偶然」によって、たまたま目の前に現れたあらゆる存在の寂しさに対し「せめてもの出会いの証を刻みたい」という強い希求が、平易な言葉の奥に静かに暗流している。

この論評を池田は、嬉しい読者を得たと評価していた。
 一方、酒巻英一郎はホトトギスの「台所俳句」を引き、池田俳句は主婦の活動の場所を戦場や書斎にまで広めた「新台所俳句」であると書いている。

――「新台所俳句」という言われ方はどうですか?
池田 第一句集の『空の庭』(人間の科学社)からそう言われています。反発は感じません。それについては、『池田澄子シリーズ自句自解ベスト一〇〇』(ふらんす堂)の
  主婦の夏指が氷にくっついて
の自解のところで、こう書きました。

私の俳句は、新台所俳句などと言われたりするが確かにそうだ。洗い上げた青菜も観光地の青葉も、私にとって同じ価値を持つのである。それに殆どの時間を家に居るのだから、家に在るモノや、家でのコトが、詠む対象になるのは自然ななりゆき。家は狭いけど、それを言うなら宇宙の中の地球の小ささ。地球に在る日本も、日本にある公園も神社も、引っ掻き傷ほどのものだと、時々ワタクシ威勢よくなる。

外ばかり行っている文筆家はいないでしょう。〈ピーマン切って中を明るくしてあげた〉だって、家に居るから作ることが出来たのです(笑)。
――筑紫磐井さんが、俳句を本物の「俳句」と「俳句のようなもの」に分ける人がいるが、そう分けるとすれば池田俳句は「俳句のようなもの」だろう、と言っています。もっとも、低俗な「俳句」を見下す「天上の詩」だと褒めていますが……。
池田 いえ、私は私の俳句は俳句だと思っています。
――じゃあ磐井さんに反論しないといけないですね。もっとも、彼は、二つの分け方に賛成している訳ではないし、「天上の俳句」と言っているからいいですかね。
池田 これぞ俳句と思っています(笑)。書いていて私の「俳句」になったなあと思うところで推敲を終えます。
――「俳句のような俳句」で何処が悪いんだっておっしゃるかと思いましたが、そうじゃないんですね。「俳句」になったなあと思えるところとは、どういうところですか?
池田 それは一句ずつ違います。その句によってそれぞれ違いたいんですよ。こういう風になったら俳句なんだっていう既成概念に合わせるのはいやなんです。違う書き方で書きたいんです。なかなか難しくて、同じようなものになってしまうんですが……で、そんな書き方に行き着いたとするじゃないですか、今まで見たこともないようなものが書けたってね……あまり数多くないけど……でも、見たことないだけじゃダメなんですね。ああ俳句になったなあっていう感じのところまで持って行って、そこに来たところで推敲終りです。
三橋先生は、誰かが詠んだような句を書いてもしょうがないじゃないかって、いつもおっしゃってました。だから、先生は、一見下手そうな句すら書いてますよ。
――酒巻英一郎さんは、池田さんのかの有名な〈じゃんけんで負けて蛍に生まれたの〉について、「じゃんけんに」じゃないかって言ってますが………。
池田 ええ、そういう意見の人がいますね。でも「で」でなくちゃダメです。
――一般的には俳句で「で」は嫌われますかね。でも、口語俳句ですから「で」で良いのじゃないでしょうか? 「に」でしたら、流れとして〈じゃんけんに負けて蛍に生まれけり〉となっちゃって、面白くないですよ。
池田 そう、実は、最初は文語体だったんです。
――それじゃ面白くない。
池田 文法学者の金田一秀穂さんが、「で」だから良いのだと、「に」との違いを説明して下さいましたが、私、うまく言えなくて。でも「で」なんです(笑)。

恋の句
――助詞論争を終えたところで次は恋の句。仁平勝さんが池田さんの恋の句は「見立ての恋」であって、恋の実行動を起こす前で終っている。つまりこれは連句でいう「呼び出しの恋」であって、このあとに「恋」の心で付けて欲しいと思っている句が多い。例えば、

    脱ぎたての彼の上着を膝の上
    ボジョレ・ヌーボーちがうこと思ってるのね
    本当は逢いたし拝復蝉しぐれ

などです。とても楽しく、次への展開を想像します。 
  ところで、池田さんは連句はなさいますか。
池田 なさいますかってほどじゃありませんが、面白いですね。楽しかったですよ。面白過ぎて警戒しています。だからやらない。時間かかるじゃないですか。そしてね、七七があるでしょう。あれやると後でなかなか俳句に戻れない。小澤實さんの捌きで鷹羽さん、片山さん、神野さんとやったことありますよ。たのしかったです。
――今度は、川柳です。樋口由紀子さんが、「(池田は)従来のオーソドックスな俳句では掬い取りにくかったことを掬い取った。彼女の髪にとめてあるヘアーピンはどんな金庫破りも手が出せなかった俳句の新たな領域の金庫を開け放った」とあります。
池田 うまいことをおっしゃってますねえ。ほとんど会えませんが親友です。私の句は川柳に似ているって言われることもありますが、でも、私のは、「俳句」です(笑)。

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