伊丹三樹彦『写俳亭の書写句文集―風』

 三樹彦先生の執筆意欲はますます盛んである。この度、表記の句文集を刊行された(平成28年7月30日、青群俳句会発行)。内容は、長年にわたる交遊録であり、その折々の俳句と写真である。勿論、最愛の伴侶であられた公子さんのことはかなりの分量を占めている。


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 筆者(=栗林)は三樹彦さんの戦前・戦中・戦後のご苦労に関する記述を探して、ここにご紹介しようと思っていたのだが、このシリーズ「句文集」に、その類の話はあまりない。昔出されたエッセイ集などには、散見されるのだが、決して多くはない。あっても辛酸さはあまり書かれていない。根が向日性なお人柄だからであろう。
 この「風」からは、日野草城についての一篇を移しとってご紹介しよう。

引用(66頁より)

  弟子貧しければ草城病みにけり
 日野草城の病室での一葉。日光草舎のある池田迄、伊丹の町から月に1,2度は通った。私は軍隊帰りの丸坊主の侭である。草城は臥たきりだったが、トイレなどに起たれたときは、背高で見下された。晏子夫人は小柄でコマメで、夫の看護に尽くす10年間だった。「青玄」の選句や原稿も仰向けでされた。「青群」の会合には一度の出席も叶わなかったので、その日には先生の肖像写真の額を私達は中央に据えた。夫人は買物で近くの市場などへ外出されるだけ。草城を慰める為の俳句も作り始められた。「恥ずかしいから伊丹さん、先に見て頂戴」などと言われたが、感性の優しさに溢れた佳句が多かった。当時のこととてテレビはなく、ラジオだけを楽しまれた。潔癖症で、選句稿まで消毒の上だった。台風恐怖症で、警報が出た日は、門下の人々が草舎に駆け付けた。「面会謝絶」の貼札をしていても来客を招じられ、芳名録には草田男や虚子の名まで残された。臨終の前には、寝台での身を起こされ、私の肩を軽打された。「青玄」を頼んだよの無言の意志だったと私は受け取った。


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 病臥中の草城、晏子夫人、若き日の三樹彦さん                              引用終わり

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