宇多喜代子著『俳句と歩く』(その1)

 宇多喜代子先生が表記の著作を刊行された(角川書店、平成28年5月25日)。「俳句」の2011年4月号から50回に亘って連載し続けられたものをベースに、33編を入集している。あとがきには、「もとより雑駁な知識を綴った文章ですが、私なりに目を凝らしてみた俳句の底にある諸事の片鱗がお伝えできれば幸甚です」とある。



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 第一節は「川村蘭太の『しづ子』」である。しづ子はもちろん「鈴木しづ子」のこと。奔放な句を詠み、評判になったが、昭和27年に忽然と姿をけした。わずか33歳であった。彼女の作品と半生(?)を明らかにしたのが川村蘭太。川村はしづ子を調べ上げ『しづ子』を上梓した(新潮社)。分かる範囲での年譜が書かれ、なんと7300もの未発表句が発見されている。
 筆者(=栗林)が感銘したのは、しづ子のこともさることながら、宇多先生が若かりし頃から、決して著名ではなかったしづ子に興味をもって彼女の跡をたずねているということである。府中や各務原などである。著名な俳人については、書く人が大勢いる。しかし、無名な俳人を世に出してやろうとする人は少ない。川村蘭太も同じ思いであったのだろう。

 第二節は「蚕のおしっこ」。冒頭に京都で開催された国民文化祭での京都府知事賞を受けた次の句の紹介から始まる。
  大原志赤子はじめて雲に会ふ   山内 利男
「大原志」は「おばらざし」と読むそうだ。筆者(=栗林)には初めての季語(夏)である。養蚕に関係した古い季語らしい。その本情は宇多さんが説明しているから、ここでは述べないが、蚕を飼った経験のない私には使いこなせない季語である。宇多さんは養蚕・製糸の現場を見学し、蚕のおしっこや一斉に桑を食べる音がすさまじいことを書いている。
 絶滅寸前の季語を使いこなし、現代にもそのなじみを温存させる努力は、現代俳句が新しい季語・詩語を作り出すことと同様貴重な行為であろう。ともあれ、言葉が消えると歴史も消える。実態が消えても言葉が残れば、歴史はまだかすかにでも残っていると考えられる。私はこのことを日系二世や三世に見て来た。つまり、彼らが日本語を失うと、彼らの身の回りから日本文化も消えるのである。

 第三節は歌舞伎のしかも京都南座のこと。冒頭の句に、
  顔見世のまねきの掛かる角度かな  後藤比奈夫
があった。「まねき」を正確には知らなかったが、宇多さんの説明で良く分かった。余程特殊な言葉かと思っていたが、広辞苑にも出ている。そうなると、私の知識不足を反省するだけで、主知的な句だと忌避するのは間違いだと思い当たった。大体、私は知らない言葉が出てくる俳句は、主知的だとしていたのだが、その判断基準は広辞苑に載っているかで決めている。でも、地方の特殊な言葉は出ていないし、出ていなくても良い句はある。このところしきりに反省である。
 さて、南座は三津五郎の話。それから初世中村吉右衛門のこと。いろんな句が紹介されている。
  鬼やらひせりふもどきになりもする   吉右衛門
 芸能や相撲の世界では、黄色い声の声援がとても大事らしいことが書かれている。私はふと京極杞陽の都踊りの句、
  都踊はヨーイヤサほほゑまし      京極杞陽
を思い出した。南座からすぐにある祇園の演舞場での景である。

 第四話は、北九州と女性俳句である。宇多さんには女性俳句や女性俳人に係る著作が多く、筆者も随分と参考にさせて戴いた。北九州市が毎年「全国女性俳句大会in北九州」を開催している。宇多さんのこの節には、当然、北九州の女流、杉田久女、橋本多佳子、竹下しづの女らの名前が出てくる。多佳子の関係で「櫓山荘」や次女の橋本美代子さんの名もある。
 実は、今年はこの催しのゲストに美代子さんが呼ばれ、母多佳子を語っていた。筆者はそのお話を人づてに聞き、詳しく知りたかった。
 そこで、主催者の(公財)西日本産業貿易コンベンション協会の事務局に問い合わせた。事務局からは実に丁寧な対応を頂き、その講演のDVDまで送って戴けた。筆者はそれを再生して聞いたのだが、大変興味深いものであり、さらに、美代子さんに追加の質問をしたくなった。講演の内容は「ぽち袋」(代表は渡辺徳堂氏)に掲載される予定と聞いたので、掲載後、取材を実行に移そうと楽しみにしている。美代子さんは取材を了解して下さった。


 ここまで来て、「俳句」平成28年7月号を読んでいたら、宇多さんが日本芸術院賞を受賞されたことと、著書『俳句と歩く』のことが記事になっていた。それに、この本の「特に読んで欲しい小編は?」との質問があって、「山しげらず候えば」「石の力」「よしこがもえた」の3編とのお答えだった。早速、そちらを読んで見たくなった。

 第17話。よしこがもえた
 記述は文挾夫佐恵の東日本大震災の句から始まる。〈三月や大きな忌日また一つ〉。東京大空襲が3月10日だった。この大量無差別殺戮の犠牲者は10万人と言われている。
 空襲は地方都市にも及んだ。宇多さんも徳山で経験し、姫路空襲では宇多さんの友人たかとう匡子さんが被災した。6歳だったが、3歳のよしこという妹がいて、焼夷弾で焼かれた。その体験を詩集にしたのだが、絵本にもなった『よしこがもえた』である。
   よしこがあきかんのようにころがっていく。
 東日本大震災の気仙沼で聴いた話も、中東の戦禍でも、宇多さんの徳島空襲でも、石の上に転がって手足を上げている炭化した赤子の黒い姿が脳裏に焼き付いている、と宇多さんは言う。
 涙無くては読めないお話である。安保法制が国会を通り、日本の歴史が大きな転換を見せ始めた。筆者も戦時の苦痛・悲しみを風化させてはいけないとの思いで、シリーズ「昭和・平成を詠んで」を聞き書きしている。宇多さんのこの記事は私の背中を押してくれているようだ。

 第18話。山しげらず候えば……
 漁業資源保存のため山の木を切ることを禁止した佐伯藩の話から始まる。宮本春樹著『段畑とイワシからのことづて』によって触発された宇多さんの記述は、山や畑と魚の生態の関係から、昔からの知恵を子々孫々に伝えることの大切さに至る。この節は、宇多さんが環境派であることをも示している。そう言えば、森と漁業の関係は複雑な因果があることは知られている。
 襟裳岬の昆布資源が海岸に木を植えることで保たれていることはよく知られている。また、 筆者が過ごした北海道はニシン漁が盛んだった。季語にも「鰊群来」とか「やん衆」があった。しかし今は過去のことである。事実がなくなると言葉も消える。だが、言葉が残れば文化が記憶に残る。鰊が取れなくなったのは、イワシと森や畑の関係とは違うだろうが、いろいろ考えさせられた第18話であった。
 
 第19話。石の力
 この節は、沖縄の悲劇から始まり、東北の悲しい老母の話に繋がる。沖縄の親も東北の親も子を戦争で失い、断たれた子の命を石に繋いだ。残された妻や母親たちは河原の石ころを拾い、きれいに洗って懐に抱いて寝た。石に神霊が宿って、夫や子を護ってくれると信じていたのだ。
 第17話同様、無名の人々の死と、肉親の嘆きを知り、目頭が熱くなる話である。実の話である。

 第一回目のブログはこの辺で終えよう。ゆっくり読んで、また感想を書きます。

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