大牧広句集『地平』

 大牧先生(「港」主宰)から第九句集『地平』(平成二十八年六月二十五日、角川文化振興財団刊行)を鑑賞する機会を戴いた。氏はその第八句集『正眼』で、詩歌文学館賞はじめ多くの賞を受けられた。その時から第九句集『地平』の構想をお持ちで、筆者はその刊行を待ち望んでいた。というのは、筆者のシリーズ「昭和・平成を詠んで」(「小熊座」に掲載中)の取材先のお客様に大牧主宰を予定していて、このほど脱稿したのだが、それには『正眼』までの作品が主にとりあげられており、『地平』に入集されるであろう作品は僅かであったからである。


画像



 ともあれ、『地平』からの氏の自選句を掲げよう。

  三月が来るたび焼夷弾想ふ
  ふらここに昭和の軋みありにけり
  昔ほど目の澄みてゐず新社員
  十二月てふ終の月かけうどん
  るいるいと老いが集ひて午祭
  テロ恐し蜆汁冷えきりて
  立夏なり猫の見てゐし景色見て
  水貝や朦朧体の句は詠めず
  はるかなり進駐軍といわしぐも
  仏壇に何か倒れて盆終る
  大花野やはり張られし鉄条網
  ベランダにやさしく冬の来てゐたり
  働かぬ日の大切や桃の花
  としよりのはるか高みに巣箱あり
  やがて雪されど俳句は地平持つ

 自選句からも分かるように、老いを含む回顧と現代社会批判の句が多い。筆者も好きな句を選ばせて戴いた。その数は四十句以上に及んだが、中から十二句を掲げる。(*)印は氏の自選句と重なった。

007 つくづくとふるさと持たぬ三が日
008 松過ぎてはや偏屈のもどりけり
023 ふらここに昭和の軋みありにけり(*)
059 老斑のたのしく増えて味噌雑炊
086 玉子かけご飯の至福一の午
093 口汚すもの食べてゐし空襲忌
095 植木市植木を励まして通る
124 仏壇に何か倒れて盆終る(*)
150 父の全部知らざり凩窓を打つ
155 牡蠣フライ銀座に路地のあればこそ
173 やがて雪されど俳句は地平持つ(*)
179 働かぬ日の大切や桃の花(*)

007 つくづくとふるさと持たぬ三が日
 大牧さんは東京の品川区に生まれた。今も近くの大田区にお住まいである。筆者(=栗林)を含め、地方出身のものは、正月には不思議と故郷を思うものである。その地の遊び、近くの神社へのお参り、正月料理、里帰りした旧友との酒宴などなどである。あの子が結婚したとか、孫がいるとか……。故郷への交通混雑もなんのその、である。「つくづく」東京生まれの人がお気の毒である。でも、そう深刻に「お気の毒」と思っている訳ではないが……。

008 松過ぎてはや偏屈のもどりけり
 大牧さんは、どこかでご自分のことを「反骨な人間」と呼んでいたという記憶が筆者にはある。作品からして、旺盛な社会批判精神があり、八十五歳にしてまさに反骨的である。その精神も松の内くらいは抑えているのだが、世の中が動きだすと、すぐいつもに戻る。またぞや「偏屈」精神が旺盛になるのだ。お元気な証拠。

023 ふらここに昭和の軋みありにけり(*)
「ふらここ」「昭和」と言われると、志村喬の「生きる」を思い出す。監督は黒澤明だった。もちろんモノクロ。ブランコの軋む音は、戦後社会の軋む音でもあった。

059 老斑のたのしく増えて味噌雑炊
「老斑」が「たのしく」とは中々言えない。そう言い切ったことに脱帽。しかも「味噌雑炊」の庶民感覚がこの句に真実味を付加して、働いていると思う。決して自虐的ではないのだ。

086 玉子かけご飯の至福一の午
筆者の「昭和・平成を詠んで」シリーズのお客様だった黛執さんに〈今朝秋のするする玉子かけごはん〉があったことを思い出した。筆者の学生寮の朝ご飯は「玉子かけ」が多かった。思えば、あの若い時代のあのこと、このこと、を思い出すのが至福の時間なのかも知れない。「一の午」が時代を感じさせる。今、けっこう「玉子かけご飯」が見直されているとか。 

093 口汚すもの食べてゐし空襲忌
この句に対し、本井英氏は、犠牲者に対しての後ろめたさを想起した。それもあろうが、筆者は、飽食の今は生きるに不可欠な食糧というよりも、不必要なほどの美食グルメに耽っていることへの、大牧さんの自責を込めた社会批判と読むべきではなかろうかと思っている。水気の多い炭水化物なら、口はそれほど汚れまい。ビフテキやキャビアは口だけでなく肉体をも汚すと考えれば、それへの痛烈な皮肉なのであろう。大牧さんの清貧を良しとする反骨精神の現れである。東京大空襲を回顧しての句である。

095 植木市植木を励まして通る
 この句には「偏屈」や「反骨」的解釈は要らないだろう。向日的な気持ちをそのまま受け取れば良いのではなかろうか。「植木を励まして」いるのは、自分への励ましでもあるのかも知れない。

124 仏壇に何か倒れて盆終る(*)
 この句は、深読みしようとすれば、いくらでも広がる。だが、筆者は、その裏を深読みしない方が良いのではなかろうかと思っている。氏の自選句でもある。何も言わない句だとすれば、これを自選した氏の好みの一端に触れたように思えるのである。主張しない句の味である。かと言って、単なる写生句で終わらない句でもある。

150 父の全部知らざり凩窓を打つ
 大牧先生に父上のことを書いて戴いたことがある。それはいずれ「小熊座」に掲載される予定であるが、その中に、次のような一節があった。
夜中、私が目を覚ますと、仕事から帰っていた父が煮干しの魚を肴にしながらコップ酒を飲んでいました。父が、さびしいとも、むなしいとも、混ざった顔で酒を飲んでいて、厠へ行く私と目があったときの……父の何か話したさそうな眼に合ったときの……一瞬は忘れません。戦中の冬の夜でした。父が話したかった眼、仕事から帰ってきても内職を母としていた父、働いても、働いても食べられなかった底辺の父、その父の思いが、世の権力への抵抗という形で、私の俳句やエッセイに反映された、と思っています。

155 牡蠣フライ銀座に路地のあればこそ
「牡蠣フライ」が俳句に出てくるのは、作者の健康な証拠。「玉子かけ御飯」も「牡蠣フライ」もどんどん詠んで下さい。「銀座の路地」が、懐かしさと共に、当時のそこそこの上昇志向を現しているのだろうか?

173 やがて雪されど俳句は地平持つ(*)
「地平」はこの句集の表題。雪はいっとき地面を覆うが、俳句にはもっと先の『地平』が開けている筈……という期待を現している、と読んだが、如何であろうか? 正直言って、大牧さんは、俳句=人生、あるいは人生=俳句、と言って良いほどの俳句人間を過ごしてこられた方である。

179 働かぬ日の大切や桃の花(*)
 この句の明るさ。余裕。「偏屈」も「反骨」も、この句にはない。だが、枯れた句とも違う。何故なら、氏は別のところで〈044 枯れた句は詠むまい青田見ゆるから〉と詠んでいるように、年老いたとは言え、悟りきった句、枯れた句は詠みたくない、と日頃念じているのである。「桃の花」の明るさがいい。

 ご健吟を願っています。

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック