大輪靖宏句集『海に立つ虹』共鳴句抽出

 大輪先生(「輪の会」主宰、上智大学名誉教授、日本伝統俳句協会副会長)が表記の句集を出された(平成28年4月6日、文學の森刊行)。第4句集である。


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 早速、初めから読み進めたが、最後まで行ってから「あとがき」の「ささやかな主張」を読んで、「なるほど」と思った。先生の主張を概括しよう。

1、 ものの価値には芸術的価値と思想的価値がある。例えば「人間は考える葦である」という言い方には思想的価値がある。一方〈荒海や佐渡に横たふ天の川〉には芸術的価値がある。俳句は芸術的価値を追求すべきものである。だから先生の句には、戦争反対や大地震の悲惨さを叫んだ句はない。
2、 本居宣長は「もののあはれ」をもって文学の価値とした。つまり文学は感動である。俳句もその通りであって、政治批判や世の中の記録ではない。人の心を動かす詩的情感を盛り込めるかどうかで価値が決まる。
3、 報道文では報告が価値を持つが、文学では詩的情感がそこから沸き立つかどうかでその価値が決まる。事実の報告では価値がない。
4、 普通の正しい日本語を使う。言葉を短くするために無理な言葉を使うのは良くない。例えば「受験子」「卒業子」「落第子」などは辞典にはない。
5、 良い言葉は保存したい。古い言葉でも現代に生き返らせたい言葉は大切にしたい。例えば「あえか」などである。
6、 難解句はダメ。難しい俳句が奥行きがあり偉そうだと思いがちだが違う。平明が良い。
7、 意味が分かれないように。例えば、否定の「ぬ」と完了の「ぬ」のどちらなのかに注意すること。
8、 俳句のタブーは最小限に。大切なのは「有季定型」ということ。
9、 季重なりは気にしない。芭蕉に〈永き日も囀り足らぬひばり哉〉がある。
10、 カタカナ・外来語は一向に構わない。
11、 俳句は一人称だというのは誤り。三人称の名句は数多い。蕪村の〈お手討の夫婦なりしを更衣〉がある。
12、 上手な嘘は良い。文学には虚構があるから。
13、 詞書の大切さ。
14、 伝統の大切さ。

 この句集を鑑賞するには大輪先生のこれらの主義を理解して読んだほうが良い。勿論、俳句は「私」の一人称の文学だとか、季重なりは良くないとかを主張する人もいるが、この句集を読む間は、ちょっと抑えておこう。

 さて、大輪先生ご自身の自選十句は次の通りである。
  天上の音を目で聴く星月夜(*)
  咳き込みつ神父大きな愛を説く
  時めぐり来る喜びや畑を打つ
  少年の挫折八月十五日
  山頂は銀河の流れ猛々し
  故郷は峠の霧を抜けてより
  ずつしりと大白鳥の浮いてをり
  海に立つ虹の孤愁や色淡く
  九仞を滝ふくらみて落ちにけり
  寒々と刻こぼしをり砂時計

 一方、筆者(=栗林)の共鳴句は50句ほどに及んだが、中から18句ほどを選び鑑賞してみようと思う。次の通りである。(*)は先生の自選と合致した句である。

007 春雪の山深閑と陽が昇る
 句集『海に立つ虹』の冒頭の句。格調が高く、この句集全体の句柄を予感させる一句。春雪を朝日が照らす景は、見る人のこころを洗う。
016 畦塗りて新居のごとき田となりぬ
 畦を塗りなおした田は新しく建てた家のようだという。ところによってはコンクリートで仕切った田圃がよく見られるが、やはり畦の方が良き田園風景であり、風物詩と言える。福田甲子雄の句に、〈明星の映るまで畦塗り叩く〉があったのを思い出した。
033 ビール飲む帰路に片陰できるまで
 大輪先生の「あとがき」にもあるように、季重なりを堂々となさっている。筆者も全く同意見で、我が意をえたりである。
049 スリッパにみぎひだりあり冬籠り
 一物句がわりに多いこの句集にはやや珍しい配合の句。スリッパに左右があるという普遍的な事実に配合するのに、「冬籠り」を持ってきた。この微妙な距離感が面白かった。
105 天上の音を目で聴く星月夜(*)
 先生の自選と合致した句。空でなく「天上」といって格調を高めた。澄んだ空に星が眩いほど煌めいている。まさに音を立てながらである。その音は耳には聞こえずとも、目で受け取り、聴いているのである。
127 生きるとはまあ楽しきかきりぎりす
 これは次の句と同じ人生観に通ずる句。「きりぎりす」に問いかけていながら、自分の考えでもある。「あとがき」に俳句には第三者を読むのが良い、とあったが、次の句と同じく自分の考えを詠むことを否定しているわけではない。俳句は必ず一人称である、という考えに対して、そうでもないよと「あとがき」で言っておられる。この句集には上五に「生きるとは」を置いたのが14句もある。ご自分の「生」をまじめに見つめている証左であろう。
136 世を捨てる気など無けれど西行忌
 俳人は西行が好きである。偏愛かと思うほどである。思い通りにならない世の中のことを思えば、近現代に西行が親しまれるのは納得がゆく。
138 絵踏みして遊女の足の冷えきりぬ
 踏み絵は春の行事だったせいか、春の季語になっている。現代ではあり得ないのだが、この季語が持つ時代性・意味性が「遊女」の一語とともに読者を江戸の世界に誘ってくれる。たしか踏み絵は銅板などで出来ていたはず。足が冷えるのも分かる。
153 田植する常念岳に尻向けて
 常念岳は長野県の西部にある山。先の〈016 畦塗りて新居のごとき田となりぬ〉同様、田園風景を描いた。「尻向けて」が上手い。田の水面には常念山が写っているのかも。
175 狐火を見し少年の疎開の夜
 先生の年頃の方々は、多くが疎開の経験を持っておられよう。この間、友岡子郷さんを取材したとき、神戸から岡山への疎開の話を聞いた。集団疎開と縁故疎開があり、前者は多くが恵まれなかったらしい。池田澄子さんも黒田杏子さんも縁故疎開だと聞いている。
202 葉桜の道に指輪が落ちてゐる
 いかにも俳句らしい。高価な指輪でないとすれば、トリビアルな場面を詠んだ句となり、この句集の中では、とぼけていて珍しい。高価ならば、俳句には向かないと思うのだが、どうだろうか?
218 蓑虫は働く気などさらになく
 これもとぼけていて面白い。いかにも蓑虫の特徴を第三者的に上手く掴まえている。
241 海に立つ虹に逢ひたる我が命
 この句集の表題となった一句。この句集には「海に立つ虹」の句が10句並んでおり、この句のほかに〈海に立つ虹に船出の良き予感〉などがある。筆者も伊豆をドライブ中に海に立つ虹を見たことがあるが、印象鮮明であった。しかし、句にできなかったのが悔やまれる。
252 呑み足りぬ気持ややあり春の宵
 ユーモラスで確かにこういう感覚ってあるなあ、と思わせられる。「ややあり」が上手いし、「春の宵」も気分がよく分かる。
268 ペコちゃんが舌出して立つ残暑かな
 ペコちゃんの人形は確かに舌を出している。それに気づいて俳句に詠んだ手柄。「残暑」を配合する上手さ。主義主張に傾かず、哲学じみていない。こういう句を作りたいといつも思っている。
272 台風は戦争よりもましと婆
「戦争」が出てきたので深刻な句になるかと思いきや、お婆さんのセリフで軽く頷ける。しかし、内容は結構重たいのだ。
280 針の降るごとく唐松黄葉散る
 鮮やかな叙景句。まさに黄金の針が横殴りの風に乗って飛んでゆく。上高地かも知れないが、筆者は故郷の北海道の十勝で見た。実に感動的であった。
283 拙論に牡蠣のごとくにしがみつく
「拙論」とあるから、先生ご自身の説・論であろう。ひょっとすると「あとがき」に書かれた内容かも知れない……私にとっての俳句はこうです!と言う。

 楽しく読ませて戴きました。

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