桑田和子句集『春暁』

 桑田さんは、平成2年に伊丹三樹彦さんの「青玄」に入られたから、俳歴約30年に及び、すでに完成域におられる俳句作家である。「青玄」終刊後は、後継誌「暁」の創刊同人として活躍してこられた。この句集『春暁』は、昨年9月に、角川書店が刊行したもので、このたび筆者も読む機会を持った。
 跋文は宇多喜代子さんが「桑田和子さんの資質は、〈青玄〉で伊丹三樹彦ならではの旧態を抜けた新感覚を身に着けながら、どこかで初期の草城の句境の感受を思わせるものがあり、草城・〈青玄〉・〈暁〉とつづく一本の線に繋がるものをみせている」と、新興俳句の先達の影響を指摘している。



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 桑田さんのご自身の自選句は次の12句。

  一輪の梅に眠りを覚ます山
  春暁の草城句碑を濡らす雨
  二筋の水尾の寄り添う残り鴨
  傍にいることも看取りや春の雪
  あじさいの白にはじまる女坂
  積み上げしものは崩れる雲の峰
  桃を剥く桃のかたちに指添わせ
  八月の真ん中とくと考えよ
  とんぼうの夢みるならば水のいろ
  しばらくは炎とあそぶ落葉焚
  湖の端に日のある寒の入
  燃えつきて繩ふっくらと春隣

 筆者が共鳴した句は次の通り。(*)は自選と重なったもの、(**)は宇多さん跋文に引かれたものである。

007 天の彼方水の彼方へ鳥帰る(**)
008 女にはうしろ釦が梅の花
010 靴脱げとすみれたんぽぽうまごやし
015 真っ先に白足袋を脱ぐ花衣
023 人去ってからの水音花菖蒲
027 赤子抱くように受け取る今年米
033 通夜の客しばらく月の人となる
034 秋時雨いいえ蚕の桑食ふ音
035 石積めば仏が宿る草紅葉
036 電子音に呼ばれる暮らし一葉忌
043 縞馬の等高線図小春日和
044 日脚伸ぶうしろ脚から坐る象(**)
054 一軒のために橋ある花筏
060 蓮の実の飛んで虚ろの深まりぬ
068 自愛とは歩くことなり冬霞
075 傍にいることも看取りや春の雪(*)(**)
078 啓蟄や乾きて匂う吉野紙
080 日溜りの小石ふくらむ桃の花
082 花しぐれ馬身に艶のゆきわたり
092 屑籠に屑なきくらし夏の月
096 羅を角あるごとく疊みおり
100 泊船の水抜いている良夜かな
104 あのと言いかけて独りや秋の暮
135 花筵重ねて捨てる紙コップ
137 種を蒔く木綿の似合う女かな
143 飛び石は庵主の歩幅実梅落つ
144 野も山も洗いたてなり梅雨晴間
147 座についてなお落ちつかず白扇
151 日々好日曲る胡瓜を買いもして
159 白粉花昨日と同じ人を待つ
178 元日やどこへもゆかぬ手を洗う

 これらの句には、作者の目の確かさが現われている。物の描写に、はたと気付かされる、あるいは、そうだそうだと納得させられるものが多い。筆者(=栗林)は桑田さんの作品をまとめて読むのは初めてであるが、出自から想像するような新興俳句的とか社会性、あるいは前衛とかいう分類には入らず、むしろ伝統俳句的な味がある。ただし、〈八月の真ん中とくと考えよ〉や〈同じ方へ曲る靴音敗戦忌〉などは社会性が前面にでていようか? ご主人を失くされてからの句には、情の深さを感じさせられるものが多かった。

 『春暁』を、少し鑑賞しよう。

007 天の彼方水の彼方へ鳥帰る(**)
 巻頭の句。海を渡って空遠く帰って行く鳥を詠んだ。気分の良い壮大さ。鳥への気持ちは何も書かれていないが、彼方へ去って行く鳥たちへの無事を願う気持ちが想像される。初句に相応しく、格調高い句である。

008 女にはうしろ釦が梅の花
 男の筆者には読めない句。たしかに婦人物のブラウスなどには背中ホックがついている。男物にはない。背景には梅が咲いている。面白い気づきの一句で、軽い艶っぽさが感じられる。

010 靴脱げとすみれたんぽぽうまごやし
 この「靴脱げと」が上手い。この言葉は簡単には出てこない。言ったのは連れの人なのであろうが、それを俳句に詠むのは簡単ではない。裸足になって寝そべってみたい感じの春の一日である。

044 日脚伸ぶうしろ脚から坐る象(**)
 よく観てできた句だと思った。たしかにそうだと気付かされる。後ろ足を折って坐って、それからおもむろに前足を折る。作者の気づきに感心した。

075 傍にいることも看取りや春の雪(*)(**)
 桑田さん、宇多さん、それから筆者も戴いた一句。この句のすぐ後に葬の句がある。ご主人さまであろうか。宇多さんの跋文にも、桑田さんがご主人を失くされた頃のことが書かれている。そして、次の句が出てくる。

092 屑籠に屑なきくらし夏の
 ひとりの生活だからか、ごみが少ない。以前はそうではなかったのに・・・。悲しいとは一言も書いていない。だが、伝わってくる。筆者イチオシの句である。

104 あのと言いかけて独りや秋の暮
 これもひとり居の句である。言いかけて、傍にいるべき人がいないことに気が付く。「秋の暮」が哀しいほどに効いている。

144 野も山も洗いたてなり梅雨晴間
「洗いたて」が上手い。解説も何もいらない。平明で気持ちの良い叙景句。「青玄」的ではないように思うのだが、筆者が好きなタイプの句である。

178 元日やどこへもゆかぬ手を洗う
 軽妙な一句。のんびりとした元旦。成すことは年賀状を読み、出していなかった人への想いや、久しぶりの友の暮らしぶりや、知人からの家族写真付きの年賀状を愉しむことであろう。それから食事の支度のため「手を洗う」のであろう。日常の生活感がある。

 有難う御座いました。
  

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