『柿本多映俳句集成』

 柿本多映の第一句集『夢谷』から第六句集『仮生』までの全句と、1977年から2011年までの拾遺(1500余句)、年譜、解題、初句索引などを収めた『柿本多映俳句集成』が刊行された(深夜書房、平成31年3月21日)。栞には、この「集成」刊行を記念してひらかれた、神野紗希、村上鞆彦、関悦史、佐藤文香四氏の座談会の記録が載せられている。この句集の刊行には、関氏、佐藤氏、それに堀下翔氏らの若手の絶大な協力があった、と聞いている。多映先生は結社を率いている訳ではないし、その弟子でもない若者が、この句集刊行に協力したという事実は、とても貴重だと思う。
 筆者(=栗林)は、多映先生に二度ほどロングインタビューをさせて戴き、二つの著作に書かせて戴いた縁があるので、とても懐かしく、この「集成」を読ませて戴いている。



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 表紙は、仄聞するに、ニューヨークのメトロポリタン美術館にある高僧の袈裟の図柄であるとのこと。渋い中にも明るさと気品と歴史を感じさせるものがあり、三井寺出自の多映さんにぴったりである。装丁は高林昭太氏とある。帯には、自選と思われる次の7句が抽かれている。

  天体や桜の瘤に咲くさくら
  立春の夢に刃物の林立す
  水平に水平に満月の鯨
  人の世へ君は尾鰭をひるがへし
  末黒野をゆくは忌野清志郎
  おくりびとは美男がよろし鳥雲に
  誰の忌か岬は冬晴であつた

 早速、各句集から、思いつくまま、筆者にとって懐かしい多映作品を掲げて行こう。

第一句集『夢谷★→ゆめだに★』
 昭和59年2月刊行(書肆季節社)。桂信子の序文があり、跋文は橋閒石という贅沢な布陣。桂の序文のエッセンスは、「吹田の毎日教室を赤尾兜子から引き継いだ。そこに柿本多映がいた。能力はすぐ分かった。三井寺に生まれ、父親は管長。夫は京都の裏千家の茶道資料館の館長。「俳句研究」の五十句に応募して佳作」とある。

 立春の夢に刃物の林立す
 鳥曇り少女一人の銃砲店
 兜子はるか身体沖にあるごとし
 真夏日の鳥は骨まで見せて飛ぶ
 出入口照らされてゐる桜かな

第一句。立春とはいえ、まだ木々は芽吹いていない。冬木立を連想し、それが刃物の林立であるという。夢だから、何が出てきても良いのだが、心の深層から刃物が出てくるとは容易ではない。幼い頃の三井寺の杜の探検(年譜の幼児期の項を参照されたい)が、記憶の底辺に生きているのである。第三句集のところで述べるが、作家の阿川弘之が驚いた句である。
第二句目。銃砲店に店番が少女一人というのは、いかにも不安感が募る。季語「鳥曇り」とも微妙に合っていよう。
第三句目。師の赤尾兜子はもういない。兜子が漂っているかも知れない沖に、私もいま浮いているような錯覚を覚えていますと、この句は言っている。
第四句目。〈真夏日の鳥は骨まで見せて飛ぶ〉。鳥が飛ぶとき骨は見えない。実際には見えないものでも、多映さんにはみえる。飛ぶことが宿命である鳥へのオマージュである。貪欲なまでに「生」を見つめている句である。北辺の俳人寺田京子は、いつも死を見つめながら、
  日の鷹とぶ骨片となるまで飛ぶ    寺田京子
と悲痛な句を詠んだが、一生肺の弱かった京子と、小柄ながらに健康そのもので、気配りが行き届き、いつも活動的な多映さんの句とは、当然ながら違いが大きい。
最後の句〈出入口照らされてゐる桜かな〉は、関西の超党派句会に出したもので、永田耕衣から、「この句出したんはだれや、だれや」って訊かれて「私です」って言ったら、「へえーっ。多映さん、これ書いたはええけど、いま書いてしもたら、あと、えらいこっちゃねえ」と言われた。三井寺の仁王門から、夕闇の桜のトンネルを抜けてきて、薄暗い外灯が一本。しかし、それを知らなくても、桜の苑の入口と出口だけが照らされていて、中は茫洋として不詳……そんな景が、何かのメタファーのように、読者を名状し難い世界に誘う。多映俳句の魅力の一つである。

第二句集『蝶日★→ちょうじつ★』
 第二句集は平成元年9月25日刊行(富士見書房)。題字・帯文は橋閒石。

 病臥して向うが見ゆる青簾
 広島に入りて影濃き日傘かな
 誰か来て石投げ入れよ冬の家    
 回廊の終りは烏揚羽かな
 やはらかく猫に咬まるる寺の裏
 また春や免れがたく菫咲き
 桃吹くや地の穴穴の淋しけれ
 この村に気配の見えぬ祭かな
 美少年かくまふ村の夾竹桃
 抜け穴の中も抜け穴夏館
 生まれ家の柱のとよむ卯月かな
 妙といふ吾が名災えたつ八月よ
 我が母をいぢめて兄は戦争へ   
 杉戸引きてより一面の菊の景
 桃咲いてからだ淋しくなりにけり

第一句目。先に、いつも健康な多映と書いたが、病のときもあったのだろう。臥せっていると、視点の高さがいつもとは違う。平凡な句のようだが、よく見て気がついて書いている。
第三句目。金子兜太の〈霧の村石を投らば父母散らん〉を思わせる。冬の空気が澱んでいる古い大きな家。多映さんの寺かも知れない。誰かが石を投げ入れて、乱してくれないと、全てがフリーズしてしまいそうだ。
第四句目、回廊はあきらかに三井寺の金堂辺りだろう。回廊の終りとは、どこを言うのであろうか。傍目には、回廊には終りがないように思えるのだが……。多映さんには蝶の句が多い。いや、七句目にあるように、穴もテーマである。
第五句目の〈やはらかく猫に咬まるる寺の裏〉や、九句目の〈美少年かくまふ村の夾竹桃〉など、多映さんにはエロスの句もある。これはエロチシズムと違って、タナトス、つまり「生」の本質に迫るものだ、と彼女は主張する。「これはメタファーで書いていますから、橋閒石先生の言う『艶』でしょうねえ。笑いながら『あんたも中々やるねえ』って」。
後から三句目。〈我が母をいぢめて兄は戦争へ〉は、多映俳句にしては直裁的であるが、「いぢめて」の旧かな遣いがうまい。新かなではこの気持は出ない。兄二人が出征した。陸軍だった。「母を悲しませて」は、軍国主義への恨みの表出である。   
あとがきに、多映は蝶を越冬させた、と書いている。蝶に対する思い入れが深い。

 第三句集『花石★→かせき★』
第三句集は、平成7年3月17日、深夜叢書刊行であった。序文は多映さんの夫の海軍時代の友人で作家の阿川弘之。阿川は、軽い気持で引き受けたが、中味を見て「一転、愕然とした」とある。彼は、取り敢えず、『現代俳句文庫―柿本多映句集』を見せてもらって、その感想からこう書き始めている。
「巻頭三句目、
  立春の夢に刃物の林立す
まずこれが、私(=阿川弘之)の眼を射た。
  泊夫藍★→サフラン★を咲かせすぎたる男かな
〈男〉が誰を意味するのか、咲かせすぎのサフランが何を象徴してゐるのか、よく分らないけれど、一種、名状しがたい凄味があって、こりゃ亭主にあたる我が友(柿本大尉)もたいへんだぞ、並大抵の女流俳人ではないぞと思った」。

  ここに『花石』からの共鳴句を掲げよう。

 山中や鐵の匂ひの冬桜
 うたた寝のあとずぶずぶと桃の肉   
 なまかはきならむ夜明の白百合は
 青大将この頃ものごころ付き
 ひるすぎの美童を誘ふかたつむり   
 風景の何処からも雪降り出せり     
 巫女の抜く青葱もっとも青きかな
 野の遊びなどと遥かやふくらはぎ
 一本の柱を倒す祭かな         
 まんぢゆうに何も起こらぬ夏の昼    
 老人に口開けてゐる桜かな
 先生を隠してしまふ大夏野       
 春の道とつぜん人を外しけり
 前の世は飴屋なりけり鳥威
 思ひ出し笑ひや両手に柿提げて    
 生国に辿り着かんと立泳ぎ
 秋やわが右足の磨り減ることよ
 雪虫やらふそく灯しにゆくところ
 穴を掘る音が椿のうしろかな
 地の水は桃にならむと桃の木に

第一句目。冬桜に鉄の匂いを感じるのは、尖鋭な感受性の持ち主である。言われてみるとそうかとも思えるのが不思議。この奇異な感受に、感覚的に納得させられる。
二句目。「うたたね」に配するに「ずぶずぶと桃の肉」はうまい。しかも「ずぶずぶ」という退廃的な質感。多映のどこからこの感覚が生まれて来るのであろうか。
四句目。〈青大将この頃ものごころ付き〉。ものごころ付くのは誰だろう。「青大将」だとすると、凄い句だ。息子の可能性もある。いや、自分かも知れない。とすると、ものごころ付く年頃といえば、少女だ。配合するにしても、もっと叙情的なモノがあろうに、「青大将」だ。多映俳句の骨法は、類想打破である。花鳥諷詠でない、客観写生でもない。予定調和を壊している。そこに惹かれる。
五句目。〈ひるすぎの美童を誘ふかたつむり〉は、第二句集の〈やはらかく猫に咬まるる寺の裏〉や〈美少年かくまふ村の夾竹桃〉に共通するエロスの句。
九句目。〈一本の柱を倒す祭かな〉は単純明快に見えて、それでいて句の背景に拡がるものがある。一本の柱を倒すにしても、永年続いた祭のしきたりや、美しさや、氏子たちの昂奮があるのであろう。       
十句目。〈まんぢゆうに何も起こらぬ夏の昼〉。力を抜いた、奇妙な、人を喰ったような面白い句である。「まんじゅう」は何を指しているのかとか、あまり考えない方が良い。この諧謔性を瞬間に楽しめばよい。飯島晴子がいい句だと言ってくれたそうだ。
〈老人に口開けてゐる桜かな〉は、「てにをは」が上手い。一読可笑しさがこみ上げてくる。咲いている桜を、恰も生き物のように看做して、「口開けてゐる」と書いた。読者は「老人が」の間違いではなかろうかと思ってしまう。       
後から三句目。〈雪虫やらふそく灯しにゆくところ〉。薄暗い時刻になった。作者が蝋燭を点しに行く場面と、眼前に浮遊する雪虫の群れとが見えてくる。だが、ふと、蝋燭を点しに行くのが雪虫なら面白いとも思う。多映の作品なら、そんなシュールもありえよう……はかない命を前に、「いま蝋燭を灯しに行くから待っていてね」という、雪虫に対する祈りの気持ちでもある。
後から二句目の〈穴を掘る音が椿のうしろかな〉は不気味で、意味するところが深そうだ。「穴」は多映さんのモチーフの一つだが、「穴」と「うしろ」でもって奈落に通じるような深層の闇を思わせる。美しい「椿」を背にして「穴」を掘る行為は、子供のころ体験した死者を葬る「穴」を思わせて凄味がある。穴を掘る「音」だけが聞えてくる。
多映さんの詩嚢にはいくつもの原風景が納まっていて、いつもそれが詩の言葉の源泉となっているのだ。桂信子が、この句が良いと言ってくれた、という。

 第四句集『白體★→はくたい★』
第四句集は、平成10年6月20日、花神社刊行。表紙の揮毫は、橋閒石のあと「白燕」を継いだ和田悟朗である。

 海市より戻る途中の舟に遭ふ
 こめかみに螢が棲んでからのこと
 寒卵死後とは知らず食べてゐる
 吊橋の蟻を追ひ越す遊びかな        
 花の梢空気触れあふ音のして
 手を上げて下ろせば我も芒かな
 ふくらはぎ花に見られてゐるやうな
 人形の混みあふ春の病かな         
 天才に少し離れて花見かな
 棒持たぬわが眼の前を蛇よぎる
 骨壷の雅を言ひて冬の人
 純少年ひる白骨となりゐたり       

第一句目。虚の世界の蜃気楼から現実の世界に帰ってくる舟。その舟に、多映さんの舟が出遭うのだ。つまり、彼女は今、虚の世界に向かっているのだ。
第二句目。こめかみに螢が棲んでいる、という感覚は、何とはなしに分る。面白い身体感覚である。そのあと、何が起こったのか。
第三句目。こう書かれると、死後とは、必ずしも卵の死後だとは思えなくなるから不思議である。目くらましにあったような気がする。
六句目。手を上げて、すっと下ろしたら、自分は芒のようになった、という感覚。うまく言うものだ。
九句目。〈天才に少し離れて花見かな〉。兜子に〈数々のものに離れて額の花〉がある。兜子の句は、不特定な物から離れている額の花一点を詠んでいるのだが、多映さんの句は、天才という特異な一点から離れている自分、もしくは不特定多数の人間が離れている、と詠んだ。「に」の遣い方がうまい。
最後の句。「純少年」という清潔感のある措辞でさらっと詠いあげているようでいて、悲しい内容だ。悲しいながら美しいのは「純少年」であるからだろう。無季句。永田耕衣に〈野を穴と思い飛ぶ春純老人〉がある。晩年の耕衣に私淑していた多映さんの胸の裡のどこかに、この耕衣の句が潜んでいたのであろう。感動する詩語を媒介に、刺激しあえる関係を、耕衣も多映さんもお互いに喜んでいたのであろう。力を認め合う俳人同士は、見事なまでに影響し合う。句会や結社の賜物であり、羨ましい限りである。死の間際の耕衣を見舞いに行ったときの多映さんのお話を聞いて、つくづくそう思うのである。

 第五句集『粛祭★→しゅくさい★』
第五句集は思潮社から平成16年9月28日刊行。
「翔臨」の竹中宏氏は、この句集の表題がなんとなく不気味だ、と京都新聞の夕刊に書いている(同年十二月十一日)。それは、多映さんがこのころ癌の病に臥せっていたことと関係しているのだろうと言い、次のように続ける。
「物質の充足によっては解消しない、いのちのあやうさという事実が、何層ものかさなりをもって、氏の内面を領する。死に、にぎやかな死はありえない。氏はあくまでも氏自身の孤独の場に滞留しつつ、氏自身に見えてくるものをたしかめることによって、いのちのあやうさという事実と、その事実に直面せざるをえない人間のこころの宿命とに向きあおうとする。それが、俳人としての氏の腰のすえどころといえる」
そして、多映さんの俳句の素材に「人・にんげん」が多いという。

 春うれひ骨の触れあふ舞踏かな
 昼顔のひるなまぬるき鍵の穴
 大人から坐り始める桜かな
 蟻の巣に水入れてゆく他人かな
 人が人を拝んでゐたる秋の暮
 白襖倒れてみれば埃かな
 嚔して瓜実顔の通りけり
 こつあげやほとにほねなきすずしさよ
 鬼房と蓮池まではゆくつもり
 ししうどや俗名ばかりうかび来て
 隠沼に空席ひとつあるにはある
 兜子閒石耕衣鬼房敏雄留守
 雪降れり我が生誕のにぎはひに

第三句目。〈大人から坐り始める桜かな〉は、何のこともない桜の宴の様子だろう。子供たちはそこいらをうれしそうに走り回っている。大人たちは、そろそろ酒にしようかと茣蓙の上に坐り始める。写生的ではあるが、見えない雰囲気までが浮き上がってくる。そう書きながら、多映さんの句のこの「桜」は何かの暗喩……たとえば異界の花かも知れないと思ったりする。
四句目。奇妙な句であるが、惹かれる句だ。〈蟻の巣に水入れてゆく他人かな〉。「他人」であって、見知った人でないのが面白い。あるいは子供の時代に戻ったのだろうか。「他人」でもって、意味の上での見事な展開がある。この句も、多映さんの独壇場の句だと思う。
五句目。〈人が人を拝んでゐたる秋の暮〉。最初、この句は強烈な皮肉の句だと思った。拝む対象は神や仏ではなく、生身のヒトなのだ。世俗を揶揄した句だと。多映さんによると、単なるスケッチから得た句だという。老人が向かい合って話しをしている。その様子が互いに合掌しあっているように見える。深読みし過ぎると、多映さんに笑われそうである。
六句目、〈白襖倒れてみれば埃かな〉も、秀逸の句ではなかろうか。何かの暗喩と取っても良いが、襖がずらりと並ぶ三井寺ならではの句とも思える。白襖でなくて、国宝級の絵襖ならさらに面白い。光浄院客殿には水墨の「列仙図」があり、イメージが重なった。
七句目。〈嚔して瓜実顔の通りけり〉は何とも言えない笑いを誘う味のある句である。瓜実顔の人物への親しみが湧く。モデルは橋閒石だった。多映さんの句には、不気味な句もあるが、一方では、こうした俳味のある句もある。
後から六句目。〈こつあげやほとにほねなきすずしさよ〉。多映さんの代表句の一つであろう。亡き人を送ったとき、神仏の造化の不思議さにつくづく思いを致した、という。

 第六句集『仮生』
 第六句集は現代俳句協会が刊行(平成25年9月1日)。この句集により、第五回桂信子生を受賞。さらに翌年の蛇笏賞の最終候補となった(受賞者は高野ムツオと深見けん二)。そして、第十三回俳句四季大賞、第二十九回詩歌文学館賞を受けられた。

 筆者の気に入った句が多い。

 八月の身の穴穴に蓋がない
 鶏頭の殺気スペインまでゆくか
 骨として我あり雁の渡るなり
 誰の忌か岬は冬晴であつた
 神様に命日があり日短か
   桂信子逝く
 吾に賜ふ冬青空のあり愛し
 傘寿とは輪ゴムが右から左から
 手鞠つく母のおそろし雪おそろし
 老人を裏返しては梅真白
 目印は小さな靴です鷗さん
 椿より綺麗にひらく落下傘
 てふてふや産んだ覚えはあるけれど
 おくりびとは美男がよろし鳥雲に
 二つ目の穴掘つてゐる朧かな
 春の木に差しだす綺麗なみづぐすり
 ひんがしに米を送りて虔めり

一句目は多映作品に欲出てくる「穴」のモチーフ。
二句目。この跳び方がすこぶる面白い。殺気とはいいながら、何となく情熱的で陽気なのである。「スペイン」という風土のイメージのせいであろうか。
三句目。「骨」も多映さんのモチーフのひとつ。〈真夏日の鳥は骨まで見せて飛ぶ〉〈骨壷の雅を言ひて冬の人〉〈純少年ひる白骨となりゐたり〉〈春うれひ骨の触れあふ舞踏かな〉〈骨として我あり雁の渡るなり〉など、人間の本質としての「骨」、避けられない死というものをイメージさせる「骨」を詠んでいて、重い句である。
八句目。〈手鞠つく母のおそろし雪おそろし〉の感覚は、草田男の〈雪女郎おそろし父の恋恐ろし〉に通じる。肉親でありながら、母や父には、子には分からない部分があり、いつもある種の畏敬の念をもっているのであろう。
その次の句〈老人を裏返しては梅真白〉は、ご主人が倒れられた際の句であったと記憶するが、人を即物的に、非情に詠んだものとして、筆者には驚愕の一句であった。
次の二句は東日本大震災の句であるに違いない。
 目印は小さな靴です鷗さん
 ひんがしに米を送りて虔めり
一句目の口語表記は、悲しい現実をやわらかく詠っている。津波に流された行方不明の少女を思っての句であろう。
二句目は、流通網が途絶えた被災地の若い俳人に米を送ったときの句。水もガソリンも米も途絶えたのであった。この記憶は風化させたくない。

 柿本多映さんは、これまでの句業の成果を認められ、平成二十七年には、現代俳句協会の最高の栄誉である現代俳句大賞を授与された。

 冒頭に多映先生を取材したことを書いたが、それは拙著『新俳人探訪』(文學の森、平成26年9月2日、初出は「遊牧」平成24年12月)、および『昭和・平成を詠んで』(書肆アルス、平成29年9月7日、初出は「小熊座」平成28年8月)に収録されている。筆者に手持ちはもうないが、アマゾンで古本が格安に入手できると思うので、ご興味のある方に、お読み頂ければと願っている。

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