菊地悠太句集『BARの椅子』

 菊地悠太氏は1984年生まれだから35歳くらいであろう。角川春樹主宰の「河」に平成19年に入会、「河」新人賞を24年に、「河」賞を25年に、第13回銀河賞を26年に貰っているというから、急成長の新鋭である。
該句集は、俳句アトラスから、平成31年3月10日に刊行された。第一句集であるが、序文がない。そのかわり、角川春樹主宰の祝句〈麦酒あり菊地悠太の詩を愛す〉を掲げているし、末尾には、悠太作品を春樹主宰が批評し、「河」に掲載したものを再録している。その数20を超えているので、師からの愛され方が並みではない。


画像



 不思議なことに表紙が二通りある。出版者の林さんに伺ったら、猫の方はご本人の好み、もう一つは師角川春樹氏のご推奨らしい。菊地悠太氏は猫好きらしい。本の中身は同じであった。

 自選句は次の通り。

 三月の沖の彼方にある時間
 遠き日の遠き枯野の駅にをり
 橋に降る雨を見てゐる立夏かな
 寒明けや秩父に兜太の空のあり
 まだ月の残る朝あり臘八会
 しぐるるや未完の沖に未完の詩
 けふ生きてけふ流れゆく夕立かな
 まぼろしを追ふまぼろしや酔芙蓉
 寒椿我が詩の途は此処にあり
 初雁の空の沖にも空のあり

 筆者の共鳴句は次の通り。

010 手付かずの空にこゑあり蕗の薹
025 レールなき銀河の駅を過ぎにけり
027 たましひのこゑの犇めく花野かな
029 稲滓火の遠き日暮となりにけり
053  夕鶴忌は歌人辺見じゅん氏の忌日
    夕鶴忌美しき時雨となりにけり
054 うつくしき鶴瓶落しとなりにけり
068 暮れ残る花にこゑあり西行忌
086 美容室の灯の消え聖夜となりにけり
096 降る雪の花の月夜となりにけり
102 初夏の美しき鎖骨のありにけり
131 橋に降る雨うつくしきヒロシマ忌
135 曼珠沙華水子のこゑのありにけり
158 戦争が髪を洗つてゐたりけり
164 火のなかに蒼き日のある暖炉かな

 選んでみて、我ながら驚いた。菊地氏の得意とする文体の句をかなり選んでいるからである。その文体とは、下五に「なりにけり」「ありにけり」「ゐたりけり」が多出する型である。如何にも堂々としてゆったりとしている。俳人協会会長の大串章さんも下五の「けり」が多い作家だが、菊地氏はそれ以上であろう。
 もう一つの菊地氏の句の特徴は、特定の語に特別の愛着があるのか、極めて高い確率で出現する「語」があることである。たとえば、表題が『BARの椅子』なので、「椅子」は尤もなのであるが、それにしても、「いのち」「こゑ」「未完」「時間」「ひかり」「駅」「遠い」「見てゐる」「日暮」「未来」「枯野」「午後」「うつくしき」「水」などが頻出していて、これらの語に対する菊地氏の思い入れの深さが感じられる。
 しかし、このことは決してこの句集の短所とはならず、丁寧に対象を詩的に描こうとする氏の性格をよく表している、と見るべきであろう。対象を抉りだし、何かを主張するという形ではない。世事の理不尽さを嘆き、不条理に抗議するのでもない。むしろ、対象を真綿でくるんで外側から優しく愛しむ姿勢が感じられる。

 素晴らしい詩性を持った若干35歳である。ここで固まってしまっては勿体ないように思う。この句集に頻出している「語」と「文体」を、ほんの数か月、使用頻度を落すことを敢て試みるのも良いのかも知れない。勿論、反論もあろう。これが菊地俳句で、菊地文体なのだ、今後はこれをさらに深化させるべきだ、という意見もあろう。しかし、一度試みてみることも、きっとその先に、奥の深くて広い俳句の世界が、菊地氏の前に広がっているに違いない、と思うのである。
 筆者にとって、とても印象に残る句集であった。

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 2

かわいい かわいい

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック