井原美鳥句集『分度器』

 井原さんは能村研三主宰の「沖」と磯貝碧蹄舘主宰の「握手」で学ばれた方で、千葉県俳句作家協会の新人賞を平成23年に受けている。『分度器』は第一句集で、序文は能村主宰、栞は相子知恵さんが書かれている(平成30年12月3日、ふらんす堂刊)。その鑑賞は極めて懇切である。
句集名『分度器』は〈大いなる分度器鳥の渡りかな〉によっている。


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 自選12句は次の通り。

  福藁や日は産土へ廻り来る
  漢字帳に母がいつぱい日脚伸ぶ
  けふの木の芽あすの木の芽と湧きにけり
  モード誌のをとこの微笑三鬼の忌
  風光る草の名前をこゑにして
  転生の父や五更のほととぎす
  蝉の森投網のなかをゆくごとし
  書けぬ夜は読みに安らふ火取虫
  その母も育む家風桃葉湯
  椨の木がいちばんのつぽ小鳥来る
  大いなる分度器鳥の渡りかな
  風邪熱のはじめ夜空を被るやうな

 筆者の共鳴句は次の通り。

017 まんなかに母在る幸や雑煮吹く
022 蚕豆を剥くもうひとり子の欲しき
023 竹皮を脱ぐべうべうと雨の幕
030 稲架立つや村史そのまま灌漑史
031 裏戸まで金風届く産屋明け
032 長き夜のもの煮る音も生家なり
036 深夜サスペンスホットワインは古代赤
041 手毬麩のまろぶも美しき節料理
042 躾糸絞り抜きして寒明くる
045 未黒来て夜潮とまがふ地の起伏
047 後夜かけて月けぶらしぬ霜くすべ
048 孑孑の散りやうギリシャの小文字めく
052 ひよつとこが腰で入りたる踊の輪
057 人づての訃報のやうに綿虫は
084 漢字帳に母がいつぱい日脚伸ぶ(*)
089 二番星菜殻火小さくなりにけり
094 蟬の森投網のなかをゆくごとし(*)
094 封蝋に星の刻印夏終る
106 切りすぎし髪に手のゆく涅槃西風
111 母の日や短縮番号1に母
116 曳売の上荷に現の証拠かな
147 まだ音を置かぬ五線紙鳥雲に
149 シテイー派といふも泥好きつばくらめ
153 サラダ風索麵おとうとの事実婚
154 飼鳥に布の目隠し星の恋
190 盛り塩の稜うつくしき祭かな
192 物納てふ噂の畑とんぼ群る
193 小鳥来てをり裏木戸の開いてをり
200 雪降り積む合せ鏡のかたわれに

 実に多くの句に共鳴した。(*)印は自選句と重なった句である。幾つかを鑑賞して見よう。

 この句集を読んでいて、次のような「私性」「境涯」「家族」などに係わる句が多いと感じた。中に、もちろん感動を呼ぶ作品が多く見られた。

017 まんなかに母在る幸や雑煮吹く
022 蚕豆を剥くもうひとり子の欲しき
031 裏戸まで金風届く産屋明け
032 長き夜のもの煮る音も生家なり
057 人づての訃報のやうに綿虫は
084 漢字帳に母がいつぱい日脚伸ぶ(*)
106 切りすぎし髪に手のゆく涅槃西風
111 母の日や短縮番号1に母
153 サラダ風索麵おとうとの事実婚

中でも084は、ノスタルジーの句として、さっと通り過ぎるには勿体ない作品であろう。漢字の練習帳に「母」という字が沢山あるのだろうか。または、母が〇や×を付けたり、跳ねるところとか、伸ばすところとかの指導のあとがあるのだろう。習字のようだ。その跡を見ながら、思いにふけっている。少し甘いかなと思いながらも、取らされる句。

111 母の日や短縮番号1に母
 中でもこの句はよく分かる。我が家でも、遠くに住む義母が健在であったときは、短縮番号1が義母だった。句のモチーフは、文句のつけようがない。ただひとつ、個人的な希望を言わせてもらえれば、「母の日や」よりももっと離れた季語を使う手もあるかな、と思った。「朝顔や」とか、何かの花でも良い。お母さんが好きだった花ならなお良い、と思った。ごめんなさい。でも、母の日だからこそ、母に電話するのだと考えれば、ごく自然な季語「母の日」が良いのでしょうか……。

153 サラダ風索麵おとうとの事実婚
 この句は傑作。俳句は私小説的でない方が良いとされていよう。だが、この句は当世の社会性がある。そして、「サラダ風素麵」という日常の、しかし適当に離れた季語が絶妙である。俳句というものの宜しさがあると思う。

 以上は私性など人間の匂いのする句群であった。次の句群は、情をころした写生句、事実描写句である。前群に劣らない宜しさを感じた。

030 稲架立つや村史そのまま灌漑史
 井原さんのお住まいの環境は知らないながら、村の歴史が水との闘い、あるいは、水からの恩恵の歴史である、と言い切ったところが凄い。社会性、時代性が豊か。

036 深夜サスペンスホットワインは古代赤
048 孑孑の散りやうギリシャの小文字めく
094 封蝋に星の刻印夏終る
 前の句と比較して、一気に現代的な場に戻る。井原さんは言葉への執着が見事。ここでは「古代赤」に感銘した。「ホットワイン」もドイツのクリスマスの季節を思い起こさせる。
048では「ギリシャの小文字」の「小文字」まで言い切った。094では「封蝋」を句の題材にするのが憎い。「星の刻印」も見事。ただし、私見だが、「夏終る」がベストな季語かどうかは分からない。

047 後夜かけて月けぶらしぬ霜くすべ
116 曳売の上荷に現の証拠かな
190 盛り塩の稜うつくしき祭かな
 前の句に現代性があるとすれば、これらの句は日本的で伝統的である。「霜くすべ」がのどかな農村風景を一語で描写し尽くしている。
116では、行商の荷の上の「現の証拠」への気づきが手柄。
190では、「盛り塩」の「稜線」が「美しい」と言った。作者の感性に、読者である筆者も、感興を貰った。

094 蟬の森投網のなかをゆくごとし(*)
 自選句と重なった。森の中をゆく作者。蝉の声が頭から降ってくる。蝉声のトンネルを行くごとくに感じられる。それを、湖の中の投網の中を歩いているよう、と言った。思いもよらない直喩が面白く、しかも、言い得ている。

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