日下野由季句集『馥郁』

 日下野由季さんが第二句集『馥郁』を出された(ふらんす堂、平成三十年九月二十五日)。ふらんす堂らしい瀟洒な表紙である。由季さんは「海」の編集長で、目下大活躍中の若手であり、山本健吉評論賞をも受けている。ご家族は俳人一家であり、俳句環境は申し分ない。
 栞は大木あまりさんが書いている。



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 自選句は次の十二句である。

  揺れやむは泣きやむに似て藤の花
  あらたなる風てのひらの空蝉に
  まだ見つめられたくて鴨残りけり
  哀しみのかたちに猫を抱く夜長
  またひとつ星の見えくる湯ざめかな
  寒禽の思ひ切るときかがやけり
  桜満開父がゐて母がゐて
  ふたたびとなきあをぞらを鳥渡る
  草も木も人も吹かれてゐて涼し
  馥郁と春の鷗となりにけり
  ひとつ足す窓辺の木椅子水温む 
  身のうちの心音ふたつ冬木の芽

 筆者(=栗林)の共鳴句は次の通りである。冒頭から気に入った句が並んでいた。

007 春渚手渡すやうに言葉継ぐ
008 ものの芽に寄りくるこゑのやはらかく
009 ライラック匂ふひとりになりしとき
011 金木犀己が香りの中に散る
011 径ゆづるとき秋草に濡れにけり
017 花野ゆく会ひたき人のあるごとく
024 菖蒲湯の余りの束は立てかけて
031 またひとつ星の見えくる湯ざめかな(*)
056 初旅や海に沿ひゆく一輌車
063 揚花火息ととのへてよりひらく
097 鳥雲に入る灯台に窓一つ
107 遠雷や日記に書かぬ今日のこと
110 花芒揺れては違ふ風を待つ
113 大空を来て水鳥となりにけり
126 新緑やオフィスの窓の嵌め殺し
131 一秒で来たる返信秋澄めり
134 ワイン注ぐ紙のコップや十二月
139  悼・澤田和弥
    蟻走る享年三十四と墓
142 茉莉花の風に猫ゐる港かな
146 病院の夜間窓口虫すだく
160 ひとつ足す窓辺の木椅子水温む(*)
164 星涼しいのち宿るをまだ告げず
166 身のうちに心音ふたつ冬木の芽(*)

 実に美しい句が並んでいる。明るくて、しあわせそうで、しかも、見る目が効いている。選ぶ言葉も適切で、丁寧で、平明。『馥郁』という表題そのものに似つかわしい句群である。作品に香りがある。
 幾つかを鑑賞しよう。

009 ライラック匂ふひとりになりしとき
 場所はどこでも良いのだろうが、筆者(=栗林)にとっては札幌の大通り公園である。六月の「よさこい祭り」が開かれる頃、紫と白のリラの花が咲く。大勢の中にいると、匂いには気がつかない。だが、ひとりになって、自分に返ると、ふっと香りを感じる。その香りを胸一杯に吸い込む。喧噪の中から抜け出したときの自己認識である。

031 またひとつ星の見えくる湯ざめかな(*)
 自選句と重なった。風呂から出て空を仰ぐと星が見えた。じっと目を凝らすと、視界の中に、だんだんと見える星の数が増えていった。ふと、体が冷えているのに気がついた。街中では、こうはいかないかも知れないので、どこかへ冬の旅に出かけた折の句かもしれない。筆者は勝手に四万十川沿いの星の綺麗なことで有名なホテルを思い出した。北海道や長野県などにも良いスポットがあるようだ。

097 鳥雲に入る灯台に窓一つ
 灯台に小さな窓がひとつあることを発見したことだけで句になった。丸くて白い灯台をやや下から見上げている。遠景は、春の雲、そして鳥。人は出て来ないが、作者自身の立ち位置がはっきり分かる。潮騒も聞こえてきそう。

110 花芒揺れては違ふ風を待つ
 芒に風の句はあり過ぎるほどある。「揺れて」も予定通り。だが、「違う風を待つ」と言われて新鮮味を覚えた。「違う風」を深読みしない方が良いのだろう。揺れがふと終わったときに次の風を待つ、作者自身の気持ちなのである。

113 大空を来て水鳥となりにけり
 この句には感銘した。なんのことはないのだが、空を飛んでいるとき、鳥はたんなる鳥。だが、水辺に降りて水面に浮かんだ瞬間、単なる鳥は「水鳥」となるのである。観ている人の季感も、瞬間に「冬」となるのだ。うまい!

134 ワイン注ぐ紙のコップや十二月
 ワインを紙コップで飲むのだから、気の置けない仲間内の飲み会であろう。気取らない忘年会かもしれない。日常の些事をすらりと詠んだ。気の休まる小品。

160 ひとつ足す窓辺の木椅子水温む(*)
 この句のことを、大木あまりさんが、栞に丁寧に書いている。結婚されたので椅子が二つなのだと……。焼餅を焼きたくなるような幸せな句である。ついつい、三つのところに一人増えたから四つになったんだ、と言いたくなる。でも「水温む」がすべてを物語っている。ごちそうさまでした。好きな句です。

166 身のうちに心音ふたつ冬木の芽(*)
 そしておめでた。心からお祝いを申し上げます。

 実は、これらの句をずっと読んできて、思うことがある。それは、由季さんの句柄が、このまま進めば、吾子俳句や育児俳句の素晴らしい作品が、これから数年にわたって見られることになるような気がする、ということである。それは望ましいことであり、ぜひそうなって欲しい。
 加えて、次のような句も、筆者は、個人的には、由季さんに詠んで欲しい気がするのである。もちろん無理にではなく、折りにふれてである。例えば次の二句である。

139  悼・澤田和弥
    蟻走る享年三十四と墓
夭折の俳人澤田和弥氏を悼む句であるが、「重くれ」の句が欲しいというのではない。明るくて、幸せいっぱいの句以外にも、人生のちょっとした悲しみや、行き違いや、屈折からくる何かしらをも、大切に詠んで欲しいような気がするのである。澤田氏はユニークな俳句を書いた、〈春夕焼文藝上の死は早し 澤田和弥〉など……。

 もう一つは、次の句である。

146 病院の夜間窓口虫すだく
 ご母堂が入院されていたときの作品である。無事快癒されたのでめでたいことである。本当に良かった。ただ、背景を抜きにして、一句独立でこの句を読むと、意外に重い場面とも解釈されるかもしれない。筆者(=栗林)の個人的な経験で恐縮であるが、今回が最後かもしれないと思いながら、病院の夜間出入口から入って、身内の病室を訪れたことを思い出した。そのとき、私の心配や悲しみとは無関係に、たくさんの虫が、いつものように鳴いていたのだった。

 このような類の由季さんの作品は、日下野俳句に厚みを加えることになるに違いない、と思うのである。

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