金丸和代句集『半裸の木』

 金丸さんが表題の句集を出された(朔出版、平成30年9月25日刊行)。金丸さんは、今井聖さんの「街」の幹部同人である。序文は今井主宰。文中、主宰は「金丸さんは街俳句会の橋頭堡だ」という。「街」の方向は、古臭い俳句趣味を否定し、現代の日常生活からの新発見を、自分に引き付けて書くことをモットーとしている。その方針の先頭集団に、金丸さんがいるということである。
 ということは、彼女の作品には、おそらく、花鳥諷詠句、情緒豊かに流麗に仕上げようとする句、家族愛や古き良き時代を思い出すノスタルジーの句、老病生死を悲しく詠む句、機智に富んだ宗匠俳句的なもの、センチメンタリズムやメルヘンに依拠するような句……などなどは収容されていないのであろうと思う。今までだれも詠っていない事象を、今の我の身を透して、独自の視点で詠う、といった作品なのであろう。それらは、過去の新興俳句や社会性俳句・前衛俳句とも違う。伝統がえりした俳壇一般とも違う。筆者に言わせれば、あえてニッチに咲く花に挑戦しているネオ俳句集団のおひとりなのであろう。


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 まず、自選10句を見てみよう。

  木に登り人でなくなる春の夢
  安全旗と社旗を春野に立てて行く
  受験子が呟くエリザベス一世と
  夏の湾「集会するな餌やるな」
  雲の峰カルピスで飲むロキソニン
  アレルギー性植物一覧団扇絵に
  屋上より見る屋上の花芒
  秋の水覗けば扉現るる
  デモ隊と十一月の半裸の木
  ハイソックスとスカートの間鮫通る

なるほど、「街」的な句である。
 筆者(=栗林)は、「街」の方向に大いに賛同し、かつ心底興味を持っているのだが、自然詠、風土詠、人間の愛情や苦悩をテーマにしたものも捨てがたく思っている。膝を打つような宗匠俳句も、ときには、いいと思う。そんなノンポリが『半裸の木』を読んで共鳴した句を掲げておこう。

023 ダイレクトメールのみの日髪洗ふ
026 大学の近づき素足増えにけり
030 冷房車ひとりひとりの足違ふ
032 梅漬けて夜は睫毛の影の濃し
033 ひとつづつ縞のずれゐしサンドレス
044 シベリアが広がる父の羽根布団
045 ハイソックスとスカートの間鮫通る(*)
051 春寒の顔に収まる上下の歯
062 二十分で見慣るる薔薇も軍艦も
064 空中に蛇の目のある順路かな
068 蜘蛛の網真下に鯉の口開く
073 土手に足かけて斜めに葛を刈る
089 木に登り人でなくなる春の夢(*)
096 耐震補強の大きな斜め雲の峰
110 大根引く人に名刺を渡しをり
128 夏河が照らす高速道路の腹
148 バカバカと斑入り椿の花びらで
148 つちふるや矢印運ぶ警備員
166 管理組合鵯の集まる木を切りぬ

 この句集の冒頭は、〈015、北極の細る世紀や桜餅〉であり、地球温暖化を詠ったものと思われる。言ってみれば社会性のある現代テーマに挑戦した。ただし、落としどころを「桜餅」として、旧世界との妥協点を見つけた句であると読んだ。
 二句目は、〈015 鍋の影ついと動きぬ糸桜〉である。前の句と違って、嘱目の客観写生句である。つまり、これらの二句は、後の金丸和代へと育っていくためのエチュードのようなものであろう。金丸さんはこれらの句にあまり拘らなくなってゆくに違いないが、ときどきこの世界が出てくるかもしれない。

 前掲の筆者共鳴の句から幾つかを選んで鑑賞してみよう。

023 ダイレクトメールのみの日髪洗ふ
 私信ならいざ知らず、現今のダイレクトメール(DM)は味気ない。開封することすら面倒である。私信を待っているのに、来ない。来るのはDMばかり。そんなアンニュイな夏の日、髪を洗って気分一新しよう、という句。抒情性がある句なので、案外「街」的ではないかも知れない。しかし、DMでもって現代の気分はよく伝えられている。

026 大学の近づき素足増えにけり
 嘱目句だが、現代の様相を見事にとらえている。大学の街の風景で、キャンパスに近づくにつれ、素足(生足)の女学生が増えてくる。季語「素足」は、本来は、涼を求めるために、その時だけ、足袋や靴下を脱ぐことなのだが、ここでは古い季語の使い方はしてない。そこが良い。

030 冷房車ひとりひとりの足違ふ
 冷房車輌に乗って目にしたもの。通常は、人の服装とか、表情とかを言うはずなのに、金丸さんは客の足に目が行った。思ってもいなかった足を対象に句をものされた驚きを読者は味わう。作者の視点が面白かった。

033 ひとつづつ縞のずれゐしサンドレス
 細かいところに気がついた。そして、それを句に詠んだ。気がついても、なかなか句にまで読むことはしないものだ。素十の〈甘草の芽のとびとびのひとならび〉を思い出す。一番先に名句にしたものが勝ち。しかも、素十は整然としているところを感動して詠んだのだが、金丸さんは「ずれゐし」に視点を合わせた。詩情豊かか、と問われると、どうかと思うが、筆者が好きな、宗匠俳句的面白さとでも言おうか。

045 ハイソックスとスカートの間鮫通る(*)
 序文で主宰は、水族館の景として鑑賞していた。なるほどと思った。だが正直言うと、筆者は、ハイソックスとスカートの間の素肌感覚を詠んだものと勘違いしていた。風が膝に触れて、その瞬間、ひんやりと感じた。鮫が触って行ったかのように……と。だから「鮫」は本物ではなく、金丸さんの皮膚感覚だろう……と思っていた。誤読も楽しいもの。

051 春寒の顔に収まる上下の歯
 当たり前のことをこうも真面目に読まれ、堂々と活字になると、その効果が大きい。トボケタ味が秀逸。あんなに大きく見える入れ歯がうまく収まるもんだと感心する。納まった後の顔は、いつものように厳粛に見える。宗匠俳句的ではあるが、けっこう良いでしょう!

062 二十分で見慣るる薔薇も軍艦も
 ときどき金丸さんは季語を単なるモノの如くに扱う。その好例がこの一句。「薔薇」という文学上の歴史を背負った季語の本意はどうでも良いのである。「軍艦」という鉄の塊との対比で、ますます薔薇はモノに成り下がる。もはや薔薇でなくても土筆でも菊でもいい。飯島晴子が言っていた……季感の微妙さには限りない魅力を感じるが、季感は私の命題ではない。私の格好だけの有季は、有季正統派にはうさんくさく見られているし、革新派には非難される。私の有季が両方から気に入られていないということは、私の気に入っている……。筆者の大好きな語録である。

073 土手に足かけて斜めに葛を刈る
 このよう句は、実際に作業した人でないと書けまい。リアルである。深読みする必要はあるまい。問題は「詩情」である。「写実」があれば「詩情」は要らないのか。これも素十に近い。素十に訊いてみたいものである。

089 木に登り人でなくなる春の夢(*)
 これはいろいろ考えさせてくれる。筆者は「夢」が出てくる俳句はなんでも書けてしまうから……という偏見があって、通常は点が辛い。だが、この句は「木に登り」とあって、夢を見そうに思われない場所(木の上)で夢を見るヘンテコさが面白い。そうでなく、蒲団にちゃんと眠っているのだが、春の夜、木に登った夢を見た、というのか。いずれにしても「人でなくなる」が良い。猿か鳥にでもなるのか? それとも鬼か? 想像は膨らむ。謎を遺す句はあとあとまで読者に宿題として残る。

096 耐震補強の大きな斜め雲の峰
 たしかにある。公共の建物などである。大きな、あまり美的でない筋交いが施されている。筆者などは、美しくないから、詠む意欲が湧かない。そこを狙って彼女は挑戦するのだ。この句から、読者は作者のどんな感興を思い起こせばよいのか、季語「雲の峰」で、宿題となった感がある。

110 大根引く人に名刺を渡しをり
 この句は、多分伝統派の句会でも人気があるであろう。金丸さんは、何でも、どんなふうにでも、作句をこなすのである。

148 バカバカと斑入り椿の花びらで
 と思うと、こんな句もある。ごく親しい人との一場面であろう。「斑入り椿」とまで凝っている。だってほんとうに「斑入り」だったんだもの……と言われそうだが、この「椿」も062の「薔薇」同様、「季語」としてよりもモノとしての働きが大きい。

148 つちふるや矢印運ぶ警備員
 日常をリアルに切り取った句は「街」の本領でもある。「矢印運ぶ」がとてもリアル。問題は、この句から読者は何をどう、詩的に、くみ取ったら良いのだろうか、と思ってしまうことである。でも、よく出来た句なので、戴いた。

166 管理組合鵯の集まる木を切りぬ
 前句に対し、この句は読者に、何かしら問題を提起している。社会問題とまで大袈裟には言うまい。でも、何か現代の市井人の平穏さに水差すような問題、あるいは問題意識が詠われているに違いない。

 「街」宣言には、既往の多くの結社が志向してきた、俳句趣味的な、膨大な「モットー」を一つ一つ捨てて行こうとしている。そして、肉体を透して得られる原初の感覚を書くべく目指している。そこを目指す足音がこの句集『半裸の木』から感じ取れる。

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