梅元あき子句集『大氷柱』

 梅元さんは今井聖主宰の「街」の最重鎮メンバーのお一人。このほど、第一句集を出された(平成三十年八月三十日、金雀枝舎刊行)。序文は、多くの句を引きながら、今井主宰が丁寧に書いている。著者自身の「あとがき」によると、「街」との縁は、ご子息が横浜高校に通ったことによるようだ。今井さんは同校の教師だった。


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 自選句は次の十句。

  流氷が近づくほどに乳の張り 
  仔猫受く目耳臀部見せられて
  明日帰る事には触れず雪を掻く
  雪解風バケツで届く馬肉塊
  竜の玉ほどの言ひ分母にあり
  改札よりバス停までの雪払ふ
  点滴の袋の海に遠花火
  我に見え夫には見えぬ大西日
  真夜中のサンバよ葡萄透き通る
  大氷柱トレーニングメニュー渡さるる

 筆者(=栗林)の共鳴句は次の通り。(*)印が著者自選と重なった。

013 流氷が近づくほどに乳の張り(*)
019 湿原の寝苦しき夜蛇生まる
021 海霧の中豆腐のやうな手を握る
023 旋回の後の別れや水澄めり
024 潰す鷄見てきし父の眼雪になる
026 探照灯照射雪原の検疫所
026 手拭に焚き火の匂ひ海鳴す
031 氷柱には近づくなと母飯食ふ朝
037 姫鱒の斑にこもる火の記憶
041 草刈に行く母に貸す腕時計
043 蕎麦刈の父が括れば大き束
044 晩秋や母は漬物鉈で切る
049 切通し片側だけの霜解けて
054 薪ストーブ周りに明日の靴並ぶ
067 野の馬に二度逢ふ春の日本海
070 飼葉桶見て卒業の講堂へ
076 馬鈴薯植う洋風料理思ひつつ
078 藤の下豚を抱かせる列に居り
095 イヤリング外せば山背の気配して
095 信号の変はるまで山女魚の顔をして
106 散水車通りし後の獣臭
112 カール・ビンソン通る野島の夏蜜柑
116 父の忌や水中花の水減つており
125 虫籠から出てくる到着ロビーかな
135 泊まる気の荷物でありし虫時雨
136 林檎の樹丸ごと一本予約せり
144 秋茜父寝るまではゐるつもり
147 梨五個と同じ値段の服買つて
155 降りる駅の近づく頃に蜜柑呉れし

 一読して前半は風土詠である。生まれ育った釧路の大楽毛(おたのしけ)の景が多い。幼少時は馬市が盛んだった。冬は厳しい氷柱の世界である。だから、句集題名は「大氷柱」となった。風土詠といったが、美しい絵葉書風ではなく、生活の匂いがぷんぷんと伝わってくる。今井主宰の言う通りである。
 もう一つ、該句集に通底しているのは、父や母への思いである。これも、ただ「懐かしさ」を歌うのではなく、良い意味で生活臭のある喜怒哀楽がある。

 筆者(=栗林)の特に好きだった句を鑑賞しよう。

013 流氷が近づくほどに乳の張り(*)
 著者の自選と重なった句である。流氷は、一般的には、オホーツク海側が多く、大楽毛は太平洋岸だから、滅多にこないのであろうが、たまにはあるようだ。「流氷」は、俳句の上では春の季語だが、現地に棲む人々にとっては、まだまだ冬の感覚である。でも、流氷は、たしかに春への一段階ではある。出産やそれに伴う「乳の張り」は女性でないと分からないのだが、想像はつく。風土と身体感覚と心中の希望が、この一句に凝縮されていて、筆者イチオシの句である。

023 旋回の後の別れや水澄めり
 この句の鑑賞は、筆者の極めて個人的な感傷によるのだが、我が家と知り合いだった若いパイロット(戦闘機の)が配属替えか、戦地へ赴くのか、別れの挨拶がわりに、我々の家の屋根の上を一度旋回してから、離れて行った。梅元さんのこの句は、「水澄めり」なので、違う場面かもしれないが、飛行機を船に置き換えても良さそう。あるいは、稚魚を川に放った瞬間なのかもしれない。いや、何かの行事で、鳩を放ったときだろうか。色んな事を思い出させてもらった。

024 潰す鷄見てきし父の眼雪になる
 むかしは普通の家庭で鶏を飼っていた。貴重な蛋白源であった。ときどき潰して、鶏鍋などにしたものだ。この場合は、作者の父が、雪の上での殺生を目の当たりにしたのであろう。潰す役は、通常は、男親だった。真っ白な雪の上の鮮血を思わせる。眼が「雪になる」の描写が詩的である。家族は皆、何となく無言で、その夜の鍋をつついたに違いない。

031 氷柱には近づくなと母飯食ふ朝
 雪国では、屋根からの落雪で、毎年、死者が出たりする。釧路地方は、雪よりも氷、つまり氷柱が要注意である。氷欠片が落ちて来たり、頭をぶつけたりする。「飯食う朝」がなんとも素直な措辞。普通なら「朝食に」とか言うのであろうが、そうでないところが梅元さんらしい。また、中七の破調を嫌わないことも(024や095)、彼女の、いや「街」の特徴かもしれない。それがリアリティを高めている。

044 晩秋や母は漬物鉈で切る
 豪快な場面である。鰊付けなどには、大根を鉈で大割りにしたものを使う。冬季に、凍った(「しばれる」というが)ものを樽から取り出して、どんぶりに分け、崩して食べる。この句から、筆者も子供のころを懐かしく思い出し、楽しんだ。

095 信号の変はるまで山女魚の顔をして
 交差点で待っているひとの表情を「山女魚の顔」と言った。待っている間の顔は、整っているのだが、皆同じ顔つきで、感情がない。都会の通勤の人々をニヒルに描写した。鶴見に住むようになってからの作品。

135 泊まる気の荷物でありし虫時雨
 この句は、なにかストーリーがありそう。娘さんであろうか、実家に遊びに来たのだが、まだ帰るそぶりを見せない。荷物がいつもより多いように思える。何も書いてないが、親としては、心配になるのである。さりげない心情がよかった。

147 梨五個と同じ値段の服買つて
 作者はあけっぴろげな陽気な人である。金額にして、千円くらいであろうか。見え張りがちな人なら、決してこのような句は作らない。当然、自分で着るんでしょうね。軽い俳味のある句であって、句集の中にこういった作品も、お口直しによろしいと思った。

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