天野伸子句集『馬の目』

 天野さんは今井聖主宰の「街」の創刊メンバー。だから句歴20年以上となる。その間の320句ほどを上梓された(平成30年8月1日、朔出版)。序文は今井主宰が、彼女の犬を詠んだ句の宜しさなどを、丁寧に書いている。


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 自選句は次の12句。

  寝台へ助走する犬冴返る
  のどけしや咀嚼の時の長かりし
  給食はミルクと鯨つばくらめ
  犬の背を撫づれば梅雨明けの匂ひ
  ペンギンの頭上にナイアガラ花火
  追伸は犬のことなり夏の果
  下駄ふんばり燈籠そつと流しけり
  天の川わが守備位置の見当らず
  産れたる仔馬に敷きし今年藁
  馬の目の誰かに似たる照紅葉
  冬麗ら犬に涙を舐められて
  子宮とりし猫軽くなる冬薔薇

 なるほど、犬や馬、ねこなど生きものが多い。
 筆者(=栗林)の共鳴句は次の通り。(*)印は自選句と重なったもの。句集の後半になってゆくにしたがって、共鳴句がどんどん増えて行ったのが嬉しかった。

030 収集のワインラベルに秋灯
039 蟬しぐれ防空頭巾被りし日
041 引き当てし傍聴券や冬帽子
050 両岸は菜の花畑舟下り
050 桜にはやさしくなれる魔法あり
063 国からの背番号来る走り蕎麦
068 白墨の線路の跡や花の雨
071 小判草眠くなるのは副作用
074 この種子は白粉花と渡さるる
079 湿布薬の匂ひの籠る渋団扇
084 地吹雪や飼はれしもののしづかなり
087 ホームにてネクタイ替ふる秋の雲
089 赤松の幹に抱きつき菰回す
094 窓からは四分の一の花火見え
104 胡桃割る中より耳があらはれる
106 羽根開く孔雀の後ろ藤の花
109 ひまはりの丈を越えたる肩車
111 賽銭の音のいろいろ初大師
113 給湯の温度を下げて夏来る
116 追伸は犬のことなり夏の果(*)
116 鰯雲サイドミラーで髪直す
119 靴跡に靴を重ねて深雪晴
120 梅咲いて機嫌良き日となりにけり
121 教室に墨の香残る雛祭
124 甘藍の巻きの固きを手渡さる
126 日釣券理髪店にあり燕の子
127 雷鳴や鼓動のはやき犬が膝
132 冬麗やビル吸ひ揚ぐるヘリポート
133 階段を数へる癖や冬灯
146 近況は匙から箸へ楠若葉
147 紫陽花とカーテン残し移転せる
148 カナダへの航路花火の上通る
152 スコップの土をおとして年終る
155 検眼の下段はかすみシクラメン
160 階段の狭き居酒屋いなびかり
164 冬至湯の追ひ焚き時間ながきこと
168 搾乳の順番を待つ遠足子
171 定刻に吠ゆる犬ゐて秋うらら
177 面積はドーム幾つと鳥雲に
180 始発列車で発てば間に合ふ夏祭

 天野さんは、日常の感興を、俳句に無理させずに詠んでいる。その内容が読者の経験と合致するものが多く、そのたび「そうそう」「あるある」感を覚えるのであった。出てくるものに犬などの動物が多いが、人事句もある。純自然詠は極めて少ない。
 幾つかを鑑賞しよう。

050 桜にはやさしくなれる魔法あり
 毎年桜を見てのこの感受、良く分かる。この一年、色々なことがあった。親しかった人を失くしたことも思い出す。桜は華やかで賑やかな花だが、散る儚さもある。だが、そういったマイナス思考ではなく、「やさしさ」に持って行ったが良かった。桜は人を優しくしてくれる魔法の力を持っているのだ。大事な発見であり、断定である。想念だけを句に詠むのは一般的に難しい。だが筆者(=栗林)は、この句に大きく共感しているので、成功していると思っている。

084 地吹雪や飼はれしもののしづかなり
 北国育ちの筆者には良く分かる。地吹雪の夜、馬も羊も、家の中の猫も、一切の飼われている動物たちは、地吹雪が終わるのをじっと待つのである。動物たちだけでなく、人間もそうだった。眩しく晴れるであろう明日朝の雪原を思い乍ら……。

087 ホームにてネクタイ替ふる秋の雲
 大概がご不幸の場合である。葬儀に向う途中、駅のホームで黒いネクタイに締めなおす。季語の「秋の雲」は、少し淡白すぎるかに思えるのだが、意味性の強い季語よりも良いのかも知れない。

111 賽銭の音のいろいろ初大師
 賽銭の音色。それだけでなく音の数。コトリなのかジャラジャラなのか。多少の貧乏根性を交えながら、なんとなく耳に残っているのである。俳諧味のある句。

116 追伸は犬のことなり夏の果(*)
 手紙の追伸には大抵は本音や大事なことが書いてある。友達からの追伸には犬のことが書いてあった。内容は句には書かれていない。だから季語「夏の果」から想像するしかない。となると、犬は夏に弱いので、「ちょっと元気がないのよ」などと書かれていたのだろうか。これも俳味がある。犬好きが共通な友からの一行が、色んなメーッセージを含んでいる。

120 梅咲いて機嫌良き日となりにけり
 この句、筆者のイチオシ。プラス志向なところが断然に良い。ほつほつと梅が咲き、だんだん温かくなる。外出もこころ浮くのである。感情を直截に書いてしまうのは、失敗することが多い。しかしこの句、嫌味がなくて気持ちが良い。

121 教室に墨の香残る雛祭
 小中学校では習字の時間があるのだろう。教室は墨の香がいっぱい。ひょっとすると手習いの字は「雛祭」であって、児童たちの「雛祭」と書いた作品が、壁一面に貼ってあるのかも知れない。

126 日釣券理髪店にあり燕の子
 釣堀の一日券なのであろうか? それが理髪店で売られているのだ。なんとも珍しい発見。コミュニテイがしっかりした地方の町を思わせる。「燕の子」がほのぼの感を齎す。作者の気づきに脱帽。

127 雷鳴や鼓動のはやき犬が膝
 犬猫などの小動物は人間よりも鼓動が激しいのだろう。筆者にもそんな記憶がある。調べてみたら、犬は毎分120から180回、猫が180から240回だそうだ。納得。必ずしも「雷」のせいではないかも知れないが、そう書くのが俳句。

133 階段を数へる癖や冬灯
 この癖、筆者にもあるある。天野さんにも同じ癖があるんだと知って、面白かった。7段とか17段ならいいが、13段だとイヤな気分になる。季語「冬灯」は、どう働いているのだろうか? 重い外套を着ているし、もう結構な齢だし、という意味なのだろうか?

148 カナダへの航路花火の上通る
 晴れた夜の機窓から下を覗くと、たまたま打ち上げ花火が見えた。空港のそばの町なのであろう。下に花火を見ることは、珍しいのだが、実際にあり得る。なかなかの景観なのである。音は聞こえないが、小さくわあっと開いた花火がゆっくり消えて行く。旅情が盛り上がるのである。

171 定刻に吠ゆる犬ゐて秋うらら
 状況がちょっと違うかも知れないが、筆者がこどもだったころ、町では正午にサイレンを鳴らしていた。我が家の犬は、そのサイレンに合わせて実にヘンな声を出していたことを覚えている。天野さんの家の犬は、何もなくても時間が来れば鳴くのだろうか? 正確な犬なんですね。面白い。

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