戸恒東人句集『学舎』

 戸恒さんはご承知の通り「春月」の主宰。現役時代は大蔵省の幹部であられ、俳人協会の理事長も務められた。この句集は、実に第九句集に当たる(平成三十年四月三十日、雙峰書房刊行)。


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 自選句は次の十五句。

  開け閉てに鈴鳴る木戸や花馬酔木
  朝は五分夕べ八分や花疲れ
  梅花藻の花にはじまる流れかな
  はるかなる陶片追放冬青空
  羊日や多胡の羊もめえつと鳴く
  如月や重さの足らぬ羽根蒲団
  学舎は為桜の園ぞ筑波東風
  黒南風や書架に和綴の八犬伝
  秋出水一本釣りといふ救助
  七十路の夢はみづいろ初筑波
  勾玉にひそむさみどり若菜摘む
  日本狼終焉の山滴れり
  こじはんの畦へ鍋ごと衣被
  すつぽんの岩を噛みゐる残暑かな
  乾鮭のまだ干したらぬ重さかな

 筆者(=栗林)の感銘句は次の通り。(*)印は自選句と重なった句である。

009 しろがねは色のはじまり辛夷の芽
010 右に倣ふことの安堵や浮寝鳥
017 開け閉てに鈴鳴る木戸や花馬酔木(*)
025 葛切や箸も懐紙も吉野より
029 心太父の訛は父一代
032 満目の青水無月の棚田かな
038 刺股を立てし関址色鳥来
047 まだ啼かぬ籠の金糸雀そぞろ寒
051 ねんねこや哀しきものに子守唄
059  娘夫婦
    里帰りといふも二駅三が日
064 如月や重さの足らぬ羽根蒲団(*)
077 秘仏の扉鎖され卯の花腐しかな
077 本能といふは直進羽抜鷄
078 卓袱台を畳む音あり青簾
081 閉ぢられぬことの哀しさ水中花
089 河童忌や釣果貼られし谿の宿
099 黄落やまだあを臭き酒林
100 桐一葉腑分けのありし小塚原
110 極月や要塞めきし乳母車
110 煤竹の届かぬ棟に千社札
115 雙峰の裾濃に展け初御空
119 凍星や闇に重力あるごとく
133 白蝶や紺屋の紋の下がり藤
140 噴水のへそまがりてふ終りやう
141 色里に上人坂や梅雨激し
143 あたふたと水を貰ひに金魚売
145 玉虫を闇に逃がして消灯す
146 湧水に葭簀めぐらし水使ふ
148 白南風や灯台守の官舎跡
153 泣く赤子抱けばのけぞる薄暑かな
155 流燈のぐづぐづ行くは母のもの
159 秋澄むや貴船に高き水の音
167 百枚づつ田の水落し千枚田
172 もう少し歩数稼がう秋の暮
183 それからと長引く講義漱石忌

 この句集、「こじはん」などの難しい言葉があるものの、多くは平明で深みがあり、勿論、有季定型である。ほのぼのとしたユーモアのある句も多い。幾つかを鑑賞させて戴く。なお「こじはん」は小昼食やおやつのことで、茨城の方言らしい、とあとで分かった。そう分かると、自選句〈こじはんの畦へ鍋ごと衣被〉も、土地のおおらかさが現われた佳句として立ってくる。

009 しろがねは色のはじまり辛夷の芽
端正な写生句。「辛夷の芽」は「しろがね」の和毛で覆われているのだろう。やがて花となるとき、白を基調としたいろんな微妙な色が生れてくる。それを「色のはじまり」と断定した。未来志向で向日性のある、気持ちの良い句である。

017 開け閉てに鈴鳴る木戸や花馬酔木(*)
 戸恒さんの自選と重なった。裏「木戸」かも知れない。「鈴」が付けられていて、開閉の度に小さく鳴る。木戸のそばには馬酔木が咲いている。戸を開けるという小さな動作から、聴覚・視覚におよび、さらに人の全感覚につながってくるような句。木戸のある家は、読者に懐かしさを与えてくれる。

025 葛切や箸も懐紙も吉野より
「吉野」は行って帰って来てからも、思い出が句になる歌枕の地である。「葛」粉をみやげに買ってくる。「箸」や爪楊枝も売っているのだろう。和紙も特産で、一筆箋も記念になるし、「懐紙」もある。楮からの手漉きのものである。「粋」への拘りを感じさせる一句。

038 刺股を立てし関址色鳥来
 この句の場所とは異なるかも知れないが、猿ヶ京へ一泊吟行に行ったとき、三国街道関所跡が資料館となっていて、壁に古びた「刺股」が飾ってあった。柄は木製だが、先から一メートルほどは金属製で、賊が刀を振り回しても切られないようになっている、との説明を聴いたことを思い出した。著名人の往来の記録などもあって、楽しかった思い出がある。小さな前庭があって、色鳥も来ていたのであろう。

059  娘夫婦
    里帰りといふも二駅三が
 戸恒さんは溝の口にお住まいだから、田園都市線だとすれば、娘さん夫婦は二子玉川か鷺沼辺りにお住まいなのであろう。JRだとすれば武蔵小杉辺りだろうか? 「里帰り」とはいえ、戸口から戸口まで二、三十分くらいで訪ねることができるのである。遠くにいたとしても、三が日くらいは、正月挨拶を兼ねて実家を訪ねるのが、普通の家では、ならいなのであろう。筆者の家でも、正月は楽しみである。

064 如月や重さの足らぬ羽根蒲団(*)
 少し春めいたので夜具を替えた。三寒四温というから、少し寒い夜は「羽根布団」では軽すぎて落着かない。そうでなくとも、冬蒲団に馴れた身には、ある程度の重さが宜しいようである。この感じはよく分かる。

110 極月や要塞めきし乳母車
 ベビーカーで電車に乗り込んでくる若いお母さんをよく見かける。赤ちゃんのための用品を色々と携えている。その用品を収納するポケットや鞄部分が何か所かにあり、かなりの物量を収納できる。それを、あたかも「要塞」のようだと感受した。この感じも良く分かり、納得した。お母さんたちはよく頑張っている。

115 雙峰の裾濃に展け初御空
「雙峰」は筑波山であろう。あとがきに「いまなお母郷下妻への思いは深く、筑波山を眺めると自然に涙ぐむ」とある。初筑波という季語があるが、この山は、歴史的で、宗教的で、しかも美しい山である。戸恒さんの「雙峰書房」の名は、この筑波山に因んでいるのであろう。

153 泣く赤子抱けばのけぞる薄暑かな
「赤子」を抱くときは、大抵は、幸せ感一杯の句となる。だが、この句は、嫌がられて「のけぞ」られた。母親の抱き方とは違って、それを「赤子」は敏感に感じ取るのである。「薄暑」は納得できるが、おじいちゃんにとっては「冷や汗」的でもある。でも、幸せなユーモアのある句。

172 もう少し歩数稼がう秋の暮
 この感じ良く分かる。一万歩は歩くべしと言われ、努力する。筆者にも「万歩計のための散歩やxxxxx」の句がある。季語は何だったか失念したが、xxxxxに適当な季語を入れれば一句仕上がる。健康な一句。

183 それからと長引く講義漱石忌
「漱石忌」が面白い。小説「それから」があるから……。だが、もう少し真面目に考えると、この講義の先生は、漱石に関しての蘊蓄が豊富であって、漱石を語りだしたら止まらないのかも知れない。楽しい句である。

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