名和未知男句集『草の花』

「草の花」主宰の名和さんが句集『草の花』を上梓された(平成三十年一月二十九日、文學の森)。旅好き、野草好きで山も好きな氏らしく、『くだかけ』『榛の木』『羇旅』につぐ第四句集である。帯には〈古都なれや道の秋草みな親し〉の一句と、次の一文がある。
  老来、私の旅好き・植物好き・山好き(今は眺めるだけですが)は、ますます強まっています。この句集にも旅吟が多く含まれていて、選んだ素材も植物(殊に野草)や山が多いかと思います。日本国内については、主な所は、歩き尽くした感もありますが、季節が異なれば新たな発見もあり、名句(迷句)が生まれるかと期待しています。


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自選句は次の十句。

  かたかごや自然石なる童女墓
  戦艦大和沈みし日なり蝶生まる
  立春や結んでみたる智拳印
  水あれば水のひかりの柿若葉
  青葉風入れて春日の吊燈籠
  東天にスピカは青く夏立ちぬ
  古都なれや道の秋草みな親し
  秋うらら女は道の駅が好き
  どの家も一位の垣根笹子鳴く
  金堂の磚のゆるびや冬日差

 筆者が共感した句は次の通り。(*)印は自選句と重なったもの。

007 かたかごや自然石なる童女墓(*)
011 美ら海やちぎれ青蓴の漂ひて
015 信濃路や燕に広き山の空
020 春風の寒うて風合瀬てふ小駅
021 日本海の風待ち港蜆汁
022 野火止に水分かれゆき水温む
031 二十二の武蔵の郡黄砂降る
034 白梅やねねの小径の二曲り
036 蕗の薹見ゆれど跳べぬ水の幅
043 花を仰ぎ一日は我も飫肥城主
045 知覧てふ名を畏みて一番茶
051 水あれば水のひかりの柿若葉(*)
056 辰雄忌や浅間の裾に風立ちて
058 ああ良い風だ初夏の山にゐて
068 信長の夢の城あと雲の峰
069 菩提樹の花咲く道の異国めく
082 軽鳧の子の一二三四もつとゐる
085 島の梅雨さあゆいゆいと明けにける
098 昼酒はジャックダニエル小鳥来る
099 今日か明日か学校田の落し水
106 海も山も親しき越や秋燕忌
127 秋時雨焼き板塀の百年家
143 木枯一号筑波山まで地は平ら
150 深雪晴飛騨の鴉はかんと鳴き
166 山眠る炭焼きのこと絶えし山
173 数へ日やわが榛の木をまた訪はん
181 山門不幸無住寺の雪ばんば
185 初山河魁夷の白馬ここに欲し

 今までの名和さんの句集にも言えることなのだが、旅に出ての句が多く、旅先の地名や、縁ある人名、あるいは物の名前など、固有名詞が見事に効いている。地名の場合は、単なる挨拶句を超えて、歌枕の効力が遺憾なく発揮されているのである。
 例えば、筆者が選んだ句群からだけでも、

011 美ら海やちぎれ青蓴の漂ひて
015 信濃路や燕に広き山の空
020 春風の寒うて風合瀬てふ小駅
031 二十二の武蔵の郡黄砂降る
034 白梅やねねの小径の二曲り
043 花を仰ぎ一日は我も飫肥城主
045 知覧てふ名を畏みて一番茶
056 辰雄忌や浅間の裾に風立ちて
068 信長の夢の城あと雲の峰
098 昼酒はジャックダニエル小鳥来る
106 海も山も親しき越や秋燕忌
143 木枯一号筑波山まで地は平ら
150 深雪晴飛騨の鴉はかんと鳴き
185 初山河魁夷の白馬ここに欲し

と実に多い。読者がそれらの地名や人物名になにがしかの思い入れがあれば、その句が立ってくるのである。ここでは次の三句を、筆者がたまたま持ち合わせていた記憶を引き出しながら、ごく個人的な鑑賞をして見る。

034 白梅やねねの小径の二曲り
 秀吉の正室ねねの小径といえば、多分、京都の高台寺の前の径であろう。筆者の義母の分骨先がこの近くの東本願寺親鸞廟なので、この道を通ってお参りに何度も行ったものである。もちろん高台寺をも訪れた。秀吉とねねの木像があったと記憶している。産寧坂が近くだし、桜の頃なら、円山公園の老いた桜も、まだ元気かどうか見たいものである。

056 辰雄忌や浅間の裾に風立ちて
 軽井沢で時間があって、堀辰雄記念館を訪れたことが、二度ほどある。近くには追分宿の名残があったり、芭蕉の句碑もある。〈吹き飛ばす石も浅間の野分哉 芭蕉〉とあり、風の強いところなのだろうか。堀辰雄にも「風立ちぬ」がある。青春時代に読んで、そのほろ苦さを覚えている。重い病を持った許嫁との悲しい物語だが、美しい自然の中で、限られた時間を二人で生きる幸福感を書いている。名和さんのこの一句から、そんなことまで思い出し、ひとり勝手に余韻に浸るのである。余談だが、京の天皇家から徳川に輿入れした和宮はたしかこの中山道を通ったはずである。追分の資料館で見た記憶がある。東海道では川止めや過激派の心配があったからだという。行列は五十キロに及んだらしい。

106 海も山も親しき越や秋燕忌
 秋燕忌は角川源義の忌。彼はたしか富山の出身、つまり、越中だから「越」の国である。山は勿論、海も、特に海の魚が美味い土地である。筆者も現役時代、仕事やプライベートに富山を訪れたものだった。おまけに我が娘は山好きで、富山をベースにしてよく立山などに登ったらしい。雨晴海岸からの立山連峰が美しい。羽咋あたりの魚が美味である。

 名和さんの句集を読むと、その場所に行ったことを思い出し、思い出が次々と湧いてくる。俳句は、読者の記憶再生装置でもある。特に、名和さんのはそう思う。
 もう一つ、名和さんの作品の特徴を挙げさせて貰えば、上五中七を読んで、下五はこうあって欲しいなあ、と思うように、ぴったりと下五が置かれているのが嬉しい。つまり、ツボに来てくれる句が嬉しく、そうなった時の楽しさは抜群であり、それにより作品に対する信頼感が揺るぎなく確立するのである。これは、決して予定調和だと言って片付けて良いことではない。そこから読者の思い出や「詩」が、はっきりと、立ってくるということである。
 もう一つ書いておきたい。氏の帯文やあとがきに「季節が異なれば新たな発見もある」とある。まさにその通りである。四季はいくども幾度も巡って来て、そのたびに新しい発見がある。しかも、一つ齢取るごとに新しい齢を経験する新しい自分がそこにいる。大串章俳句協会会長の言葉を思い出す。人の「時」というものは、可逆的な四季という「時」の巡りの新しさと、非可逆的に一方向へ進む年齢という「時」の新しさが二重にある。つまり、「時」はスパイラル状に上に伸びて行き、人は、特に俳人は、その都度あたらしい「時」を享受出来るのである。小原啄葉さんも言っていた。九十になったら九十の、九十一になったら九十一の、その時の新しい私に湧いてくる俳句を詠むのです……という意味のことを。

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