岩淵喜代子句集『穀象』

 岩淵さんが第六句集『穀象』を上梓された(平成二十九年十一月二十五日、ふらんす堂)。氏は同人誌「ににん」の創刊代表であられ、先年、『二冊の鹿火屋』で俳人協会評論賞を授与された方である。筆者(=栗林)はこの評論を読んで、原石鼎の晩年を知り、いたく感銘したものである。また前句集『白雁』も記憶に残っている。例えば、
  耳飾り外す真夜にも海猫啼けり
  昼も夜もあらずわれから鳴くときは
  遠い田を沖と呼んでは耕せり
などである。


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 さて、今句集からの岩淵さんの自選十二句は次の通りである。

  生きてゐるかぎりの手足山椒魚
  みしみしと夕顔の花ひらきけり
  穀象に或る日母船のやうな影
  水母また骨を探してただよへり
  夜光虫の水をのばして見せにけり
  極楽も地獄も称へ盆踊
  菱の実をたぐり寄せれば水も寄る
  ゆきずりのえにしがすべて親鸞忌
  夕桜ときどき雲の繋がれり
  見慣れたる枯野を今日も眺めけり
  紅梅を青年として立たしめる
  尾のいつかなくなる蝌蚪の騒がしき

「ゆきずりの」の句を除いてすべて具体的な「モノ」が現われ、しかし、それぞれが単なる描写に留まらず、私的な感受・心象を書いている。

 筆者(=栗林)の共鳴句は次の通り。

012 椎匂ふ闇の中より闇を見る
015 半分は日陰る地球梅を干す
021 象は皺に覆はれてゐる日の盛り
022 三伏や影に表裏の無かりけり
037 誰へともなく買ふハガキ涼しかり
038 驟雨の街コップの中に居るごとし
039 天道虫見てゐるうちは飛ばぬなり
042 顔上げて居れば風くる草むしり
050 びしよ濡れの牛が生れぬ炎天下
051 孫連れて南瓜の花の咲くところ
056 人類の吾もひとりやシャワー浴ぶ
067 黄菊白菊大人となりし隣りの子
068 水を出て水より重き新豆腐
074 ひぐらしや抱けば胸に貼りつく子
086 梨を剥くたびに砂漠の地平線
087 月光を払ひはらひて蛇穴に
088 一つづつ拾ひて椎の山盛りに
089 栗焼いてゐる間の男坐りかな
096 菰巻いて来て鉛筆の六角形
097 顔近く来し綿虫や和紙のごと
101 冬桜遠くの方が明るかり
106 足音を消し猪鍋の座に着けり
108 十二月八日手袋嵌めにけり
110 甲乙もなくて海鼠は桶の中
115 見慣れたる枯野を今日も眺めけり(*)
119 炬燵から行方不明となりにけり
119 紙漉くは光を漉いてゐるごとし
123 狐火を恋ひて鉛筆齧る癖
124 鉛筆を落とせば響く冬舘
125 馬の背を叩いて春を促せり
131 刃物みな空を映して農具市
137 藁の馬に藁の手触り春の雪
141 往きに見し鹿を修二会の帰りにも
145 誰のとも知れぬ風船紐垂らし
150 神棚の下に踏み台雁帰る
162 貼り交ぜる切手とりどり巣立鳥
163 綾取りの橋を手渡す鳥の恋

 幾つかを鑑賞しよう。

015 半分は日陰る地球梅を干す
 作者が今居る地球のこちら側は昼で、強い日差しの中で、たまたま梅を干している。しかし、地球の反対側は夜である。若干、知的な計らいが見えるが、大きな視点から自分の立ち位置を客観視している句である。思いは、地球の反対側にもおよび、そこでは、いろいろなことが起きているのだろう、と思いを馳せている。

022 三伏や影に表裏の無かりけり
 極暑の時期の物の影は、まさに表裏がない。影だから当たり前なのだが、こう言われると新しい発見があったように感じてしまう。ものの本質をさらりと書いた。

038 驟雨の街コップの中に居るごとし
 街を歩いていて驟雨にあった。暫し雨宿りをしたのであろう。それをコップの中に逃げ込んだように感受した。「コップの中の嵐」という言い方があるが、その感覚はよく分かる。

051 孫連れて南瓜の花の咲くところ
 俳句教室では「孫俳句」を作らぬように指導するようだ。無条件で、甘くなるからだと言う。筆者(=栗林)は、そうだと思いながらも、抵抗したくなる。つまり「孫」を素材にした名句を詠みたいと、常々願っているのである。岩淵さんのこの孫句は、なんの甘さもない。べたべた感がない。平常の気分があるのみ。遊園地やデパートへ連れて行くのではない。「南瓜の花」が良い。日常の変哲もない場所、ただし、若干の詩情が湧きそうな場所へ、散歩がてら連れて行くのであろう。筆者イチオシの句。

056 人類の吾もひとりやシャワー浴ぶ
 シャワーを浴びるときは一人である。人類という大集団に思いを寄せながら、結局は自分も一人である、と言い聞かせているのか。かと言って、大集団から孤立しているのでもない。人類の一員であることを是認している。現代人の複雑な心境。

086 梨を剥くたびに砂漠の地平線
 若干シュールな句。手触り(刃触り)感が砂漠に似ているのだろうか。砂丘の稜線ではなく、地平線を思っているのだ。何かを遠くに求めている作者の心境が、この句に表れているのだろう。

096 菰巻いて来て鉛筆の六角形
 庭木に菰を巻いての冬支度を終えて、書斎に戻って鉛筆を握る。まあるい幹の感覚と鉛筆の六角形の対比の面白さ。時間の推移。

106 足音を消し猪鍋の座に着けり
 猪を食べる前のちょっとした緊張感が「足音を消し」に出ている。上手い句。この七音は、感情を直接言わないで、それ以上の効果を齎している。

115 見慣れたる枯野を今日も眺めけり(*)
 自選句と重なった句。「眺めをり」でなくて「眺めけり」だから、詠嘆とともに完了(=連続した行為の終り)を表すのだろう。何の変哲もない枯野を、今日も眺めて一日が過ぎてしまった、という感傷。俳句は一回性の感動・感興を詠むものと教えられた人には、目から鱗の一句であろう。

145 誰のとも知れぬ風船紐垂らし
「紐垂らし」と、写生に徹しながら、「誰のとも知れぬ」で、風船の持ち主に想いが及んでいる。写生とは非情である。だがこの句、非情の情とでも言おうか。

150 神棚の下に踏み台雁帰る
「神棚の下に踏み台」がある、と言っただけで、この家の生活感が見えて来る。視線は下から上へ、さらに空におよぶ。ごく自然な視線の成り行きが書かれている。

037 誰へともなく買ふハガキ涼しかり
101 冬桜遠くの方が明るかり
 最後に二句併せて一言。下五の「かり」の使い方。筆者は文法に弱いのだが、誰かが「かり」は文法上誤りだと言っていた。そのことには膨大な議論があるようだが、筆者は、「かり」は「かりけり」の省略形だと思って、軽く考え、許容している。だから厳密な文法遵守論には、いつも内心抵抗している。岩淵さんのこの二句を見て、安心したのであります。

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