友岡子郷句集『海の音』

 友岡子郷さんが句集『海の音』を出された(朔出版、平成29年9月20日)。第何句集なのかつまびらかではないが、多分10冊をゆうに超えているであろう。
 子郷さんについてはその俳歴をここで紹介するまでもないが、現代俳句協会賞、詩歌文学館賞、みなづき賞などを受けておられ、「青」「ホトトギス」を経て「雲母」に移り、飯田龍太の選を25年間にわたって受けてこられた。
 帯には 〈冬麗の箪笥の中も海の音〉を揚げ、次のように書いている。


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 かつて飯田龍太は、友岡子郷をこう評した。
『子郷さんの作品には、木漏日のような繊さと勁さと、そしてやさしさがある。人知れぬきびしい鍛錬を重ねながら、苦渋のあとを止めないためか。これでは俳句が、おのずから好意を示したくなるのも無理はないと思う』と。

 自選句は次の10句である。

  海の夕陽にも似て桃の浮かびをり
  鈴虫を飼ひ晩節の一つとす
  雄ごころは檣のごと暮れ易し
  手毬唄あとかたもなき生家より
  一月の雲の自浄の白さかな
  龍太句碑笹鳴を待つごとくあり
  真闇経て朝は来るゆりかもめにも
  足音もなく象歩む晩夏かな
  友の訃ははるけき昨日きんぽうげ
  教壇は果てなき道か春の蟬

 筆者(=栗林)は、平成28年3月に子郷さんを明石に訪ね、幼少からの生い立ちと俳歴をつぶさに取材させて戴いた。そのことは拙著『昭和・平成を詠んで―伝えたい俳人の時代と作品』(平成29年9月、書肆アルス刊行)に書かせて戴いた。戦時の悲惨さ、疎開や母との別れ、龍太先生の励まし、阪神淡路大震災、東日本大震災、畏友との永別などなど、お話の内容は重たいものであった。それらの記憶と句集中の一句一句が重なるようである。龍太の評でも分かるように、子郷さんの句は読んでいて快い。快い句というのはある種の哀しさや寂しさが隠れていて、その部分に読者は共振できるからであろう。
 こんな言葉がある。「いい歌を読んでいると快い。その快さのなかには、たまらないような悲しさがあるし、寂しさがある、うれしさは少ない。悲しさとか寂しさというものでの共振は強い」(中西寛子)。

 筆者(=栗林)の共鳴・共振句を掲げよう。(*)印は子郷さんの自選と重なったもの。
 
007 病身やすみれはすみれいろに咲き
009 雲に触れむと首のばす春の馬
011 空の奥にも空ありて五月の木
020 かなかなや同い年なる被爆の死
022 鈴虫を飼ひ晩節の一つとす(*)
023 いつまでのふたりか紫苑咲きにけり
025 一輪のごとく鷺立つ秋彼岸
027 陽をはじきつつ石橋に石たたき
028 歩みのろくなりたる象も落葉どき
035 手毬唄あとかたもなき生家より(*)
036 どの波も春の瞬き乳母車
036 浜石のどれもまどかに南吉忌
038 亡き友に風の吹きくるうまごやし
039 あをぞらになほ青足せと石鹸玉
039 野ぼたんに雨ふる孤りごころかな
046 桔梗やひとり欠ければ孤りの家
049 文手渡すやうに寄せくる小春波
054 龍太句碑笹鳴を待つごとくあり(*)
063 揚げ窓に馬の目並ぶ白雨かな
066 足音もなく象歩む晩夏かな(*)
067 竹の物差に母の名夜の秋
071 梨青し早世強ひし世のありし
083 歳ごとに涙もろくて春の雁
084 永き日や船の別れのそのあとも
084 どの家の灯にも人影鰆どき
089 たれかれと別れし絵茣蓙伸べにけり
091  夭折なれば
    母を知らねば美しきいなびかり
092 死に泪せしほど枇杷の花の数
094 冬耕と遠会釈せしのみの日か
103 月明の蓬の風呂を立てにけり
105 鳶の輪のひろやかな日の白子干
108 波一つまた波ひとつ桜貝
111 浜防風ひと日の疲れ夕日にも
126 小屋入れの馬らに小雪また小雪
126 わが齢白山茶花の咲きこぼれ
133 冬麗の箪笥の中も海の音

 子郷さんは83歳を越えられた。お目にかかったときはおみ足が少し弱られていたが、勿論、お元気であった。その時に伺ったことで印象に残っていることの一つは、〈跳箱の突き手」一瞬冬が来る〉についてであった。この句は、教科書にも載り、人口に膾炙していて、代表句だと言われているが、子郷さんは「あの若さでもう代表句だなんて! もう俳句生命がみえたようなもの」などとは思いたくないと考え、不断の努力をされたのであった。「なにしろ若い時に、ふっとできた句でしたから……」と。
 もう一つ印象的だったのは、〈092 死に泪せしほど枇杷の花の数〉であった。「この頃訃報が多いのです」と言っておられた。この句集『海の音』は、老病死がメインのモチーフであるともいえる。つまり、

007 病身やすみれはすみれいろに咲き
022 鈴虫を飼ひ晩節の一つとす(*)
023 いつまでのふたりか紫苑咲きにけり
038 亡き友に風の吹きくるうまごやし
046 桔梗やひとり欠ければ孤りの家
083 歳ごとに涙もろくて春の雁
084 永き日や船の別れのそのあとも
089 たれかれと別れし絵茣蓙伸べにけり
092 死に泪せしほど枇杷の花の数
126 わが齢白山茶花の咲きこぼれ

などである。余計な鑑賞は読者の邪魔になるであろうが、心の奥に沈着したかなしさと静けさを読み取って戴きたい。
 写生的な叙景句も、勿論、多くある。しっかりと見る目が効いている。

009 雲に触れむと首のばす春の馬
011 空の奥にも空ありて五月の木
025 一輪のごとく鷺立つ秋彼岸
027 陽をはじきつつ石橋に石たたき
036 どの波も春の瞬き乳母車
049 文手渡すやうに寄せくる小春波
063 揚げ窓に馬の目並ぶ白雨かな
084 どの家の灯にも人影鰆どき
126 小屋入れの馬らに小雪また小雪

 中には境涯的な母恋の句もある。

067 竹の物差しに母の名夜の秋
091  夭折なれば
    母を知らねば美しきいなびかり

 子郷さんは、爆撃で被害甚大であった神戸の生まれ。父方の祖父を頼って岡山に疎開している。たまに母が来てくれて、繕い物をしたり洗濯したりしてくれた。母の思い出は、歌って聞かせてくれた「歌を忘れたカナリア」の歌だけだったとおっしゃられた。終戦後、神戸に戻ったが、母は結核で隔離入院。見舞いに一回行ったが、窓越しに寝ている寂しそうな母を見たのが最後だった。

 象の句が二句あった。動物園の象は疾走しないから、足音がない。言い得て妙。

028 歩みのろくなりたる象も落葉どき
066 足音もなく象歩む晩夏かな(*)

 最後に師飯田龍太に係る句をあげておこう。

054 師の書斎今は冬日の差すばかり
054 龍太句碑笹鳴を待つごとくあり(*)

「雲母」に憧れて龍太に入門したが、蛇笏時代からの古参の高弟から、「ふにゃふにゃな句を作る新参者」のように扱われた。それを、和田渓という先輩と師龍太が影で励ましてくれた。だから子郷さんは25年ものあいだ、龍太を慕ってついていった。この二句は、龍太没後、山蘆を訪ねた時のもの。ここで言う龍太句碑は、〈水澄みて四方に関ある甲斐の国〉であろう。この前の句集だったろうか、龍太が亡くなってから、師を慕う句を詠んでいる。それは、〈冬雲雀師も通ひたる校舎見ゆ〉であった。 

 末永いご健吟を願っている。 

注記 和田獏氏の句も参考に挙げておこう。
 
  竹林の小径の果ての岩襖     和田 獏
  石をもて釣糸を切る秋の風
  氷上の雨の氷塊蕩児のごと
                     〈龍太の『俳句鑑賞読本』より〉

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