阿部菁女句集『素足』

  阿部さんが句集『素足』を出された(ふらんす堂、平成二十九年三月七日)。阿部さんは「小熊座」に所属して三十年になられる。勿論、初代主宰佐藤鬼房の謦咳に直接接している。序文は現主宰の高野ムツオさんで、心のこもったものである。特に、句集に現れる「むかさり」の解説は非情に参考になった(架空の結婚のことで、学徒動員で亡くなった若者を悼んでいる)。ここ十五年間の作品であり、それ以前のはすべて捨てた、とある。間もなく八十路を迎えられる方の処女句集といえよう。


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自選十五句は次の通り。

  穴出でし蜥蜴に朝の広田灣
  ヒロコとは白繭のこと山笑ふ
  種物屋ありしあたりの水溜り
  引鴨のいちばんあとを知子仏
  苗市の真中に磯の荷をほどく
  手向けある白詰草の髪飾り
  燕来る津波の泥を嘴に
  青饅の放つ酢の香や地震のあと
  慟哭や津波跡地のランドセル
  火のごとく椿が咲いて激震地
  芍薬の芽をつきあげる震度7
  春遅き被災地へ発つ玩具箱
  帰らざるもの山彦と草の絮
  もてなしの何も無けれど芒山
  草の穂や生きてこの世を戦はむ

 筆者(=栗林)の共鳴句は次の通り。

017 夕空を掃きに行かうか櫨紅葉
018 冬眠の大蛇の息が雪降らす
019 凍大根雁の羽音の中へ吊る
021 月山を神輿となして雪解川
026 菊の香やふたつ並びの土饅頭
027 虫時雨塚も動けとばかりかな
031 着ぶくれの半身を入れ甕洗ふ
032 蕪洗ふ北上川を目の前に
033 切り貼りの障子の陰にあみださま
033 裏口は上げ潮の海薺打つ
035 鬼房先生を悼む
    綾取りの橋を渡つて逝かれしか
036 雁木道をはみ出して立つ苗木市
040 山詞頭巾を脱げば聞こえけり
045 ずつしりと枕元まで梅雨の雲
050 天草干すどの廂にも雀ゐて
054 ふるさとは夜汽車の中ときめて秋
063 鍋釜につらなるわれや雁帰る
072 絵日傘をさして遠出のあめふらし
074 鹿踊はじまりさうな雲の峰
079 夕空へ朱鞠内から雪の精
086 どん菓子の香がついて来る翁の忌
091 ひじき煮る出羽山伏の来さうな日
096 牛の背に鴉のあそぶ遅日かな
121 考えた末こほろぎの貌となる
124 鉈漬の歯茎にしみる寒さかな
129 ものの芽に天を指すゆびありにけり
138 コスモスと風見の旗は白がいい
144 短日や畳の上の船徳利
147 胴長を脱ぎ入園の父となる
157 光背は船の形や木の実降る
166 包丁の刃をまだ当てぬ鱈の腹
168 豆腐吊る冬の銀河のその端に
178 頭巾脱ぐ佐久の草笛聞くために
184 戦没学徒に
むかさりや五万の黒き蝶の翅
191 秋篠の木の実時雨を賜りぬ
196 麦を多めに年の夜の飼葉桶
201 ものの芽にみな名札あり学校林
205 みちのくのはしり蕨の金産毛
219 パン屋にてねんねこの中覗きあふ
227 犬釘の耳がならんで夏に入る
243 水草生ふ古道はなべていくさみち
252 帰らざるもの山彦と草の絮

 これらの中から幾つかを鑑賞しよう。

018 冬眠の大蛇の息が雪降らす
 雪が降るのは大蛇の寝息のせいだ、とはとても詩的な想念である。阿部さんはヤマタノオロチ伝説の地米子で幼年期を過ごされたと知ったが、幼いころから心の根っこのところに育てられてきた想念が、こうして後年に俳句(=詩)となって現れるのであろう。

026 菊の香やふたつ並びの土饅頭
「土饅頭」は縄文時代の墓を思わせる。偉い人の墓ではない。それに古典的な和歌の世界の「菊の香」を配した。意図的ではなく、自然にそうなったのであろうが、俗を高く詠むという俳諧の骨法に見事に合っている。「土饅頭」であって「塚」でなくてよかった。

027 虫時雨塚も動けとばかりかな
 高野ムツオさんの序文の通り、芭蕉の金沢での句のパロデイとも読める。すさまじいばかりの「虫時雨」を思わせる。

032 蕪洗ふ北上川を目の前に
 大河「北上川」の水辺で「蕪」を洗っている。その白さと葉の緑の濃さが目に見えて来る。この豊かなイメージは、「北上川」の豊かな流れのせいであろう。「北上川」も、名前からして、情感豊かな川である。

063 鍋釜につらなるわれや雁帰る
「鍋釜」は日常に不可欠な最低の生活道具であり、代々受け継いできた家財の一部でもある。「つながるわれ」で余計にそう思わせられる。代々の恩顧によって私は生かされている。当然、父祖に対する感謝の念も表されている。今年も「雁」が帰って行くなあ……。

079 夕空へ朱鞠内から雪の精
「朱鞠内」なる地名が良かった。特に北海道出身の筆者には……。「しゅまりない」という響き、そして文字面。こんなみやびな名前が、実は辺鄙なダム湖だと分かると、そのギャップがまた面白いのだが、下五の「雪の精」でもってやはり雅に戻る。好きな句でした。

166 包丁の刃をまだ当てぬ鱈の腹
すぐに飯島晴子の〈八頭いづこより刃入るるとも〉の句を思い出した。阿部句は晴子のこの句より、ずっとリアルである。太った鱈のまるまる一本が俎板の上に見えて来るのである。さあ、どう包丁を入れようか……。今夜は鱈ちり鍋であろう。「包丁」と言ってまた「刃」と丁寧に書いた。「刃」が見えて来る。

168 豆腐吊る冬の銀河のその端に
 凍み豆腐を作っているのである。晴れた冬空の下。夜は銀河、朝は厳しい放射冷却の地である。厳しい中ながら、ささやかな生活の句である。「銀河の端」で詩になった。そういえば、晴子に「夕立の端」の句もあった。作者が広く俳句を勉強された方であることが、すぐ分かるのである。

184 戦没学徒に
むかさりや五万の黒き蝶の翅
 この句の解説は高野ムツオさんの序文に詳しい。「むかさり」の意味を知って、かつ、五万の意味を理解して、それで泣かされた句である。ところで、前書がこれほど効いた句を、筆者はあまり知らない。見事でした。

196 麦を多めに年の夜の飼葉桶
 牛か馬か、一年のご苦労を謝し、せめて今日は麦を増やした餌をあげよう。飼い主の優しさが溢れた一句。

243 水草生ふ古道はなべていくさみち
 考えてみれば、「古道」はそもそもそういう目的に使われた、とも言えよう。幸せを運ぶだけでなく、悲しみも、兵卒も、ここを通って行った。水路につながる道であろうから、余計にそう思える。

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