広渡敬雄句集『間取図』

 広渡さんは平成元年に俳句を始められ、平成12年には中新田俳句大賞次席、平成24年には角川賞を受賞している「沖」同人である。この句集『間取図』は平成28年6月25日、角川書店刊行の第三句集である。


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 自選の15句は次の通り。

  婿となる青年と酌む年の酒(*)
  いつもより大きな富士や霜柱
  靄生みて靄を走れり雪解川
  春の雁夭折の詩の残りけり
  ぶなの生む一滴の水春の鹿
  幹軽くたたきて巣箱掛けにけり
  帽子屋の帽取棒や春深し(*)
  あり余る有給休暇鳥の恋(*)
  鳥籠の鳥しづかなる夏書かな
  口大きく開けて日本の燕の子
  冥王星までの時間やケルン冷ゆ
  間取図に手書きの出窓夏の山(*)
  終戦の日の絶海の信夫翁
  巡業の土俵づくりや早稲の花
  横顔は子規に如くなしラ・フランス

 筆者(=栗林)の抽出句は50句をゆうに超えたが、中から10句を鑑賞しよう。なお、(*)印は筆者と広渡さんの選が重なったものである。

026 観音と暮らす百戸や冬支度
050 階段に折れし人影秋の暮
057 婿となる青年と酌む年の酒(*)
065 草を擦りつつ上りゆく鯉幟
096 あり余る有給休暇鳥の恋(*)
099 間取図に手書きの出窓夏の山(*)
127 ペコちやんの舌は右向き春の雲
151 蒲公英のサラダの話立子の忌
156 帽子屋に帽取棒や春深し(*)
180 的中の唇の動きや石蕗の花

 広渡さんの作品はほとんどが「モノ」が出て来る写生句である。「モノ」の描写に使われるフレーズが、作者の心象をも物語っている。例えば、「観音と暮らす」とある「百戸」からは、その小さな集落が信心深い人々の生活の場であろうと思わせてくれるし、「階段に折れし」とある「人影」からは、孤独そうな一人の男の影を想像させる。「婿となる」とある「青年」からは、嬉しそうな娘さんまでが見えて来る。これらの描写は、所謂、説明とは違って、句のモチーフに重要な働きを成している。
さて、一句ずつ鑑賞しよう。勝手な感想に終わるかもしれないが、ご寛恕願いたい。

026 観音と暮らす百戸や冬支度
 場所はどの辺りであろうか? 筆者(=栗林)は、なぜか湖東を思い出していた。そう思って前後の作品を見直すと、やはり琵琶湖らしい。「百戸」といえば飯田龍太の句集を思い出すが、「観音」とあるから、やはり山深くて名刹の多い淡海周辺が一番似合うと思う。これらの描写を支えているのが「冬支度」なる季語である。湖北にも通用するが、絶妙な風土性が現れている。

050 階段に折れし人影秋の暮
 秋の夕暮れ時。どこかの駅だろうか、階段に人影が折れて見えている。やや広い白っぽい階段であろう。階段だから影が折れて映るのは当たり前なのだが、「折れし」でもってその人物が持っているであろう屈折感までを読み取ることができる。写生句なのだが、いろいろなことを想起させてくれる。

057 婿となる青年と酌む年の酒(*)
 平和な家庭。将来を嘱望されているに違いない青年。彼が家族の一員となる。「年の酒」が見事に決まっている。決まり過ぎかとさえ思う。さぞ旨い酒であったであろう。

065 草を擦りつつ上りゆく鯉幟
 些細なことを写生した。大それたことを言おうとしていない。俳句は感動を詠むものだと言って、俳句に無理をさせる向きが多いが、小さな感興でよいのだ。この句がその典型。

096 あり余る有給休暇鳥の恋(*)
 身に覚えがある。企業戦士だった筆者同様、広渡さんも有給休暇を取ることに後ろめたさを感じておられた世代なのだろう。この句には「モノ」が出てこないのだが、囀りが聞こえるし、時代背景を共有できるので取らせて戴いた。

099 間取図に手書きの出窓夏の山(*)
 この句集の題になった句。新築の家の図面であろうか? ここに「出窓」を付けよう、と手書きで追加する。その窓からは「夏の山」が見える筈なのだ。写生句ではないが、読者の眼前には図面が見えている。

127 ペコちやんの舌は右向き春の雲
 なるほどそうだった。軽い共感の句。このような視点で「モノ」を見る習慣を付けると、いろいろな句が生まれるであろう。正直言うと、この句から筆者は「招き猫は右利き」というフレーズが浮かんだ。さて季語は何にしようか?

151 蒲公英のサラダの話立子の忌
 この句から、星野立子の〈まゝごとの飯もおさいもつくしかな〉を思い出した。たしか3月3日が命日、80歳になんなんとしておられた。紫が良く似合い、初代水谷八重子ばりの美人だった、と椿さんが書いている。

156 帽子屋に帽取棒や春深し(*)
 洒脱。127の「ペコちゃん」より品があって粋である。夏の手前の季節の変わり目。夏向きの帽子を新調しようかと専門店へ行ったのだ。ささいな「帽子取り用の棒」によく気が付いたものだ。

180 的中の唇の動きや石蕗の花
 たまたま筆者は和式の弓道を趣味としていたから、この光景はよく分かる。矢を放った後、「残心」と言って、「的」に顔を向けたまま、矢の中った場所を凝視しつつ、しばし心静かに無心の境地を楽しむのである。無心でいなければならないのだが、「よし!」とか、音なき声が唇から出てしまうことがある。弓道場の脇には安土の手前まで「石蕗の花」が一列に咲いていたに違いない。

 勝手な鑑賞を楽しませて戴きました。有難うございます。

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