近藤栄治著『俳句のポトス―光と影』

 近藤さんが表記の俳人論を書かれた(沖積舎、平成28年5月10日刊行)。氏は第30回現代俳句協会評論賞を受けた方で、俳誌「青垣」(代表は大島雄作さん)所属の実作者でもある。
該著の内容は、高柳重信、飯田龍太、永田耕衣、河東碧梧桐の4俳人を取り上げた、いわゆる「俳人論」である。就中、碧梧桐について最近これだけまとまって書かれた論文は珍しいのではなかろうか。

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1、 高柳重信
 近藤さんの現俳評論賞は重信がテーマであった。重信の作品を「ロマネスク」をキーワードに用いて論じている。建築や美術の様式であるロマネスクがなぜ重信の多行表記に通底しているのか、筆者(=栗林)はよく承知していないが、後にゴシック様式にとって代られることになるから、ではないだろう。ゴシックは言ってみれば高くそびえた重厚な作りであり、ロマネスクはやや平坦に広がった感じをうける。一行表記と多行表記に形は似ているが、そんなつまらぬ理由ではなかろう。ここでのロマネスクとは、どうも、「具象的な虚構世界」というような意味合いらしい。
 重信の多行表記について、氏は「少数精鋭の支持者」を得てはいるが、大岡信の言葉を借りれば「如何せん青春孤立の発明品なるこの詩形は、多くの人に選ばれるよりは、人を選ぶ形式であった」という。
 重信の多くの作品をあげ、また一行表記を発表する際の名、山川蝉夫としての句も掲げ、「もう一度重信という俳人像の一端を浮かび上がらせてみたい試みとして」この論を提示した、とある。

2、 飯田龍太
 龍太と言えば、ふいに引退したことが話題になる。この節は、そのことを主体にしたものではないが、近藤さんが次のように書いていることが、良い意味で気になった。氏は……龍太は俳人としての生き方を3人から学んだ。父の蛇笏であり、石田波郷、そして井伏鱒二である。だがもう一人いる。それは小黒坂の人々であり、これこそが龍太俳句の風土であった……と述べた後で、「しかし実は、こうした龍太の俳句における風土には屈折があった。詩を詠う限りにおいては、相対するものを一端は対象化するプロセスが必須となる。つまり、そこにどっぷりと浸かるわけにはいかない。対象化する工程を通過したうえで、そこに自分を滑り込ませるというか、溶け込ませるのだ。どうしても、どこかに距離が生まれざるを得ない。詩の宿命のようなものだし、どんな詩人もまぬがれ得ないことだ。龍太は自分の生きる風土を、対象化し意識化することに自覚的な俳人であったと思う。今振り返ると、この姿勢は第一句集『百戸の谿』から遂に変わることはなかった」「おそらく最晩年に向かって龍太は、そうした立ち位置からの離脱を決意したように思える。つまり、まったき風土に自分を還すということだ。そこには父母がいて、図らずも夭折した兄たちがいて、一夜のうちに亡くなってしまった幼い二女がいる世界だ。表現者であるかぎり、本質的にそれは叶わないことであり、龍太は表現者である自分との決別を図ったのだ。誤解を恐れずに言えば、表現者としての自死であった。本物の表現者は、いつも芸術的自死と隣り合わせに在るのではないか」。

3、 永田耕衣
 定型短詩の俳句形式において、如何にして作者の個性的表現が可能かという文脈の中で耕衣はこう言っている……能役者は画一的な能面を身につけて、その内側で自己表現を「自在無尽」に振舞う。俳句作者も俳句形式という「画一的な能面様の『面』(おもて)」を、「この形式を厳守の志において」身につければ、能役者と同様の振舞いができると考えた。
 だから耕衣は有季定型である。ただし、花鳥諷詠の唱導は悪徳だと耕衣は言う。それは、「俳人の専売特許のごとく『専用の安全地帯として』季語に寄りかかり、その結果きわめて表面(皮相)的にしか季語をとらえていない」からだ。言い換えれば、歴史的に形成され脈々と生き続けてきた季語の季を超えたいのちを蘇らせることである。これが「霊性」である、として川端茅舎の「露」の句を耕衣はあげている。
 近藤さんは、この他「笑い論」「アナロジー論―誓子と耕衣」「山林的人間論」を述べている。そして、「耕衣の俳句はとても人生的であり、人間探求的である。禅思想や西洋哲学、西洋詩論に遊びそれを底に潜ませた難解風な作品ゆえに、幻惑的な俳句という印象を持たれるかもしれないが、根本は人間として生きることを見つめた俳句である」「純粋培養された人間探求派であった」とも。

4、 河東碧梧桐
 この著作でこの論が一番頁数を費やしている。初期の碧梧桐から俳句を辞めるまでの流れを記載している。つまり、子規の碧梧桐への評価の変遷、新傾向から無中心俳句へ、さらに自由律俳句への流れ、乙字との確執などが解説されていて、極めて貴重な著作である。
 碧梧桐への評価は、山本健吉のそれが極めて厳しく、そのためにその後の俳壇における碧梧桐の露出度が致命的に落ちてしまったという見方は賛同できる。
 筆者の個人的興味は「子規の教えに忠実だったのは、虚子よりもむしろ碧梧桐ではなかったか」という点なのだが、別の機会に、二人の確執を含め、是非書いて頂きたいものである。

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